東京工業大学教授の中島岳志さんがガイド役を務めるEテレ100分de名著「オルテガ 大衆の反逆」第二回目リベラルであることの録画を今日観ました。
オルテガは、「大衆の反逆」で「自由主義は-今日、次のことを想起するのはたいせつなことだ-最高に寛大制度である。」と書いています。
中島さんは、このオルテガの主張を次のように解説しています。
「自由主義とは、とにかく最高に寛大な制度であり、他社を受け入れるという寛容な精神にほかならない、と言っています。権力が万能であるかのようにふるまっているけれど、その権力自体を制限する原則が存在している、とオルテガは考えています。それは、過去から積み重ねられた経験知によってもたらされるものであり、その中核に存在するのが『リベラル』だというのです。」
オルテガは、次のように書いています。
「敵とともに生きる!反対者とともに統治する!こんな気持ちのやさしさは、もう理解し難くなりはじめていないだろうか。反対者の存在する国がしだいに減りつつあるという事実ほど、今日の横賀ををはっきる示しているものはない。ほとんどすべての邦で、一つの同質の大衆が公権を牛耳り、反対党を押しつぶし、絶滅させている。」
この本が書かれたのは1930年。日本共産党が創立されたのが、1922年。
小林多喜二が拷問により虐殺されたのが1933年。
1930年は、日本が侵略戦争を始める前夜の時期で、日本共産党への弾圧を本格化させた時期です。
ヨーロッパでもファシズムなどの全体主義が台頭し始めた時代にオルテガは、ろれらの流れを「偽りの夜明け」と呼び、民主主義をの重要性を次のように説きました。
「政治的には共存への意思がもっとも高く表現されている形式は、自由民主主義である。それは、隣人を考慮に入れる医師を極限まで推し進めたものであり『間接行動』の原型である。」
オルテガの言う「間接行動」について中島さんは次のように解説しています。
「オルテガは直接民主制を信用していませんでした。人々が選んだ代表が合議して物事を決めていくという間接民主制によって、大衆のある種の熱狂を権力に伝えないための『緩衝』を置くことが重要だと考えていたからです。」
オルテガは、「支配するとは、拳(で撲ること)より、むしろ尻(で坐ること)の問題である。」と書いています。
この点を中島さんは次のように解説しています。
「拳を振る上げて撲ることで支配するのではなく、静かに鎮座して、人々の話を聞き、着地点を探りながらその場を収めていくというイメージでしょうか。」
今回の講座では、これからの発展が求められる市民と野党の共同にとって重要な示唆があったと思いました。
強権政治の打倒を訴える私たちは、じっくり国民の声に耳を傾けなければならない。
民主主義を徹底しながら、一致点を築きながら選挙によって世の中をより良い方向に変える。
オルテガの指摘を今一度噛みしめる必要があることを感じました。
また、「思想とは、真理にたいする王手である」という言葉も深く噛みしめました。
中島さんはこう解説しています。
「間違いやすいい、有限的な存在である私たちに正しさを所有することはできない、できるのは、心理に対する王手を指すこと。つまり、この道を行けば真理なのではないかという道筋を『思想』として語るだけだと考えたわけです。同時に、その王手を指そうということをやめてはいけない、ともオルテガが言っています。真理に向かっていこうとする意志をもった人間だけが、他者と共存することができる粘りと強さを持った人間だと考えたのです。」
今日に活きる重要な指摘だと感じました。
引き続き、中島岳志さんのガイドでオルテガの「大衆の反逆」を学んでいきたいと思います。
この講座を見ておられる皆さん、感想をお聞かせ下さい。
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