議員日誌

パブロ・ピカソ

 非暴力の人物伝②「表現の自由を守った人びと」チャップリン、パブロ・ピカソを読み終えました。

 日本人でチャップリンとピカソを知らない人はあまりいません。二人は、日本人が知っている有名な海外の人に入っているでしょう。

 チャップリンは、1889年生まれ、ピカソは、1881年生まれ。

 ピカソが8つお兄さん。亡くなったのは、チャップリンの方が4年遅い1977年でした。

 二人の人生をこの本から学び、二人は一つの出来事に対し、素晴らしい芸術作品を発表した事実を知りました。

 それは、ヒトラー率いるナチスの横暴を世界に伝えたい思いです。

 チャップリンは、映画「独裁者」を作製し、ピカソは、「ゲルニカ」を描きました。

 ピカソは、1937年のパリ万博で、スペイン館の壁画の作製をスペイン政府から要請されます。

 ピカソは、スペインで独裁政治の誕生を目論むフランコ将軍に対して国民の自由を奪うことは許されないというメッセージを描こうと考えていました。

 1937年4月26日、フランコ将軍に力を貸していたドイツのヒトラーが、スペインの小都市であるゲルニカを空爆します。

 ピカソは、空爆の4日後から、「ゲルニカ」の制作に入り、縦3.5メートル×横7・8メートルの作品を完成させます。

 ピカソは「絵は飾るためにあるものではない。絵とは、闇と野蛮にたちむかう、戦闘の道具だ」との言葉を残しています。

 また、ドイツの将校がピカソのアトリエにやってきて、「ゲルニカ」の写真を手に、これを描いたのはあなたかと聞きました。

 ピカソは、「これを描いたのはあなたたちだ!ナチス・ドイツの暴力が描いた絵なんだ!」と答えたとこの本にあります。

 戦後、ピカソは、平和擁護世界大会のポスターを依頼されます。ポスターには、鳩が描かれ、それ以来、鳩は平和のシンボルとなりました。

 世界的画家で会ったピカソの平和を希求する思いを更に学びたいと思いました。

 このシリーズの刊行によせて、日本ペンクラブ会長の吉岡忍さんの文章を引用します。

 「非暴力の活動こそが、理不尽な支配を終わらせ、人びとの心にしみついた、にくしみや偏見をときほぐし、ことばによっておたがいを説得し、理解しあう民主主義への道を一歩一歩ふみかためてきたのでした。」

 非暴力の活動をこれからもしっかり学んでいきたいと思います。

 ピカソの「ゲルニカ」やその他の作品に対する皆さんの想いをお教え下さい。

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