小学校6年生の娘は、先日、「宇部空襲」の話を杉山ユキ子さんから聞いたようです。
娘あてに杉山さんから手紙が届きました。
「この前は、私の宇部空襲の話しをきいてくれてありがとうございました。
日本は戦争で勝って領地を広げそこに日本人を行かせ働けるようにすることが目標でした。だから政府は男子20才になると皆一度は兵士にさせるのです。兵士になれない男子はだめな人といわれました。その時病気の人もいました。
国と国の問題を戦争で解決することは人の命をそまつにする国でだめな国です。藤本さんたちの力で二度と日本が戦争をしないようにしっかり勉強してください。」
杉山さんは、宇部市の空襲を記録する会編「宇部大空襲」に体験談を寄せておられます。
杉山ユキ子さんは、終戦当時、恩田に住み神原小学校に勤務されていました。
杉山さんは、7月1日の空襲で、自宅を焼失する被害を受けました。
杉山さんは、「先祖から受け継ぎ、営々と築いたこの財産をなぜ焼かれなければならないのでしょう。これが戦争というものでした。戦争で自分の家が焼けるなんて。戦争は軍隊のものではなかったのです。戦争は軍事工場だけが焼かれるものではなかったのです。そして戦争は遠い中国の地で戦われるものでもありませんでした。父や兄を軍隊で亡くし、そのうえ家まで焼かれ、焼死した人もまた数多くいるのです。私はこの時ほど戦争を憎たらしく、恐ろしいものだと思ったことはありませんでした。」と「宇部大空襲」に書いておられます。
「宇部大空襲」によると、宇部市は終戦の年、8回空襲を受け、2万5千人以上が罹災し、二百数十名の方が亡くなりました。
「国と国の問題を戦争で解決することは人の命をそまつにする国でだめな国です。」
この杉山さんのメッセージを戦後70年を越えた今日、しっかり子どもたちに引き継ぎたいと思います。
保護者である私たちが、子どもたちと一緒に平和について考えていく努力を続けていくことが大切だと感じました。
杉山さん、お手紙ありがとうございました。メッセージをしっかり引き継いでいきたいと思います。
皆さんの平和への想いをお教え下さい。
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