私の父方の祖母の妹にあたる歌人の石川みち枝が先日、96歳で亡くなりました。
知的で気品のある石川の事が私は大好きでした。
石川が私に「かずのりさん」と言う柔らかなイントネーションが耳に残っています。
私の手元に、2002年8月17日付のウベニチがあります。
「焦げついた夏 記憶の引き出し」というシリーズに石川が登場しています。
「あらつち同人で、歌人、石川みち枝さん(83)=宇部市小野区上小野=は毎年、夏になると旧満州で体験した過酷な思い出にさいなまれる。極寒の凍土をわずかだけ掘り起こし、埋めてきた長女は誕生後100日しか生きられなかった。『夏になると、生きていたら何歳になるのだろうか、と歳を数えている』とつぶやく。戦争の傷跡は痛む。」
石川の夫の正春は旧満州電電公社奉天管理局に勤めていました。戦争が終わって、石川家族が日本へ帰国できたのは翌年の夏です。
その間に、満州は極寒の冬を迎えます。
「石川さんは、11月(終戦の年)に女の子を出産。しかしわずか100日あまりの生命だった。『母乳がでなかったので、粉乳を買って飲ませた。ところがしだいに病み細ってゆき、医者に診てもらうこともできなかった。人形のようにやせ、息を引き取った。極寒の地、凍土は硬く十分に掘り返すこともできなかった』と目頭を押さえる」
「『不況とはいえ、衣食はあふれている。ところが心はかえって貧しくなっている。もったいない生活だ。朝日を迎え、夕日を送る。当たり前の生活が平和と思うようになった』としんみり語る。石川さんの、つらい夏がすぎていく。」
石川みち枝は、次の歌を詠みました。
おくり火に亡き夫偲び 大陸に埋め来し吾子の 齢を数ふ
戦争が終わって70年。戦争の現実を知る語り部の一人を失いました。
私は、親族の一人として、石川の歌とともに、満州の悲劇を後世に語り継いでいきたいと思います。
石川みち枝さん、天国で、夫の正春さんや姉で私の祖母のマツ子たちと楽しく語りあっていることでしょう。
石川みち枝さん、お世話になりました。ありがとうございました。合掌。
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