本が本格的に好きになったのは、大学時代からでしょうか。
大学生時代は、灰谷健次郎、斎藤茂男をよく読みました。
卒業して20代のころは、椎名誠、三浦綾子をよく読みました。
30代に入り、浅田次郎、重松清、山本周五郎、松本清張、五木寛之をよく読みました。
40代に入り、藤沢周平、角田光代、小川洋子、横山秀夫、佐々木譲をよく読みました。
そして、今月になってはまっているのが、そう、森絵都です。
「風に舞いあがるビニールシート」で森絵都と出会い、「カラフル」を読み、「いつかパラソルの下で」を読み、今、「つきのふね」を読んでいます。
読んでいる途中で、めんどくさくなると、別の本を読みたくなり、その内、別の作家のものを読んでいるというパターンが多かったのですが、
森絵都の本は、一冊一冊飽きずに最後まで読んでしまっています。こんな作家に出会ったのは私の読書経験の中でも初めてです。
森絵都の本はどれもテーマは重いのですが、タッチがとても軽いのが特徴で、一気に読めてしまいます。そして、読後に爽快感が心を満たすことも共通しています。
どの作品にも主人公の成長が描かれていて、読者も一緒に成長できる気持ちにさせてくれるものも彼女の作品のすばらしいところです。
この調子でいくと、今年中に、森絵都の全作品が読破できるのではないかと楽しみにしています。「つきのふね」の次は、彼女の作品群の中で一番の長編である「ダイブ」に入ろうと思います。
「いつかパラソルの下で」で私がどっきとした一文を紹介します。
「愛しても、愛しても、私自身はこの世界から愛されていないような、そんな気が心のどこかでいつもしていた。受けいれても受けいれても、私自身受けいれられない気がしていた。(略)
自分自身のせいですらなく、すべて生きるというのは元来、そういうことなのかもしれない」
ありのままの自分を受けいれることを森絵都流に書けばこうなるのでしょう。
昨日お聞きした芹沢俊介さんの講演の中にあった「受け入れる」子育てのことを思いだしました。
他人を受けいれることのできる人間になるためには、まず、自分を受けいれることのできる人間でなければなりません。
声高ではないが、森絵都の言葉に励まされている自分がいます。ここが、森絵都を読み続ける原動力でしょうか。
さあ、今から「つきのふね」の続きを読みます。主人公さくらの成長が楽しみですが、勝田君の存在がとても気になります。
いましばらく、森絵都の言葉に抱かれ日々を過ごしたいと思います。
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