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能登半島地震で原発避難の課題が浮き彫りに

 能登半島地震と原発に関し、15日、毎日新聞は次のように報じました。
 「能登半島地震で、原発からの避難の課題が浮き彫りになっている。半島の中部にある北陸電力志賀原発(石川県珠洲市)周辺では交通網が寸断されたうえ、多くの建物が倒壊。空間放射線量も測れなくなるなど、避難の『前提条件』が崩れたためだ。同県珠洲市在住の北野進さん(64)はこう訴える。北野さんは、志賀原発の運転差し止め訴訟の原告団長だ。自宅は志賀原発から約70キロ離れた、半島の先にある。能登半島地震が起きた元旦は、金沢市へ車で向かっていた。すぐに帰宅しようとしたが、道路がほぼ寸断されていたため、いったん金沢市の親戚宅に身を寄せ、道路の開通を待って1月5日にようやく帰宅した。それでも金沢市から6時間ほどかかったという。『自宅はなんとか無事だったが、市内では多くの家が倒壊した。自治体の職員も対応に手いっぱいで、もし原発事故が重なったら対応は難しいのでは』と北野さんは話す。その上で『屋内退避も広域避難もできないことが明らかになった。これまで自然災害時の避難はもっと短時間で済むと考えていたが、今回のように長期間の孤立が続いた場合、原子力防災は破綻する』と語った。北野さんら原発立地自治体周辺の住民は2月2日、能登半島地震の新しい知見がまとまるまで原発の再稼働に向けた審議の凍結を求める要望書を、原子力規制委員会に提出した。原発事故時の住民避難や被ばく防護を定めたのが、東京電力福島第一原発事故を受けて規制委が2012年に作った『原子力災害対策指針』(原災指針)だ。それによると、原発から5キロ圏の住民は、事故の兆候があった時点で即時に圏外避難する。一方、5~30キロ圏の住民は原則として屋内避難し、空間線量を実測して値が上昇すればその場所から避難するとしている。しかし、能登半島地震では、その前提が崩れた。その一つが交通網の寸断だ。半島沿岸を走る国道249号は土砂崩れが相次ぎ、金沢市と半島を結ぶ自動車専用道路『のと里山海道』も路面が崩落し、いずれも通行止めになった。内閣府などによると、志賀原発から30キロ圏内では、1月8日時点で最大8地区の約400人が孤立した。県内に69ある漁港のうち60港(1月31日時点)で防波堤や岸壁の損傷などが確認されている。特に半島北側の外浦地域では、隆起で使えなくなった港が多い。能登空港も10メートルを超える亀裂が複数入り、地震直後は使えなかった。つまり陸、海、空路いずれも機能せず、半島そのものが孤立したのだ。屋内退避も難しい事態になった。県によると、住宅被害は6万棟を超えた。その多くは長期間の退避には使えない。自治体が定めた近くの避難所に移ろうにも、道路網の寸断や交通渋滞で難しく、被ばくから身を守れなくなる可能性が生じている。空間線量も把握できなくなった。半島に約120カ所あるモニタリングポストのうち、地震後に最大18カ所が欠測した。通信トラブルが原因で、欠測したものは志賀原発から北側の30キロ圏に集中しており、避難するかどうかの判断ができなくなる恐れがあった。規制委はどう対応するのか。1月17日の定例会で山中伸介委員長は『屋内退避の防護という基本的な考え方を大きく変更する必要はない』と説明。屋内退避の期間を具体的に定めるという、原災指針の一部修正だけにとどめる方針を示した。他にも多くの課題があるのに、なぜ原災指針の修正の対象が屋内退避だけなのか。山中委員長は記者会見で『電気もガスも水もない状態で、1週間とか長い期間同じ場所にとどまるのは難しく、指針の中で(屋内退避の期間を)を明示する必要があると思う』と説明した。一方、道路の寸断やモニタリングポストの欠測などの問題については『自然災害への備えは、これまでの(原災)指針、あるいは防災基本計画や地域防災計画で対応できる』『可搬型モニタリングポストの設置や、無人航空機で測定する準備も進めていた』などと述べ、いずれも原災指針の改定は必要ないとの考えを示した。モニタリングポストの通信網の多重化などを今後進める方針だ。屋内退避自体の方針を見直さない背景には、被ばくのリスクよりも、避難自体のリスクの方が高かったという福島事故の教訓がある。2335人の災害関連死があった福島県は『遠方への避難や複数回に及ぶ避難所移動による影響が大きい』と指摘している。これは、労災などで認定された福島事故の被ばくによる死者数よりもはるかに多い。これを踏まえ、山中委員長は『複合災害の場合は、まず自然災害に対する対応を第一に考えていただくことが大切だ。その上で原子力災害が起こった時の防護策を考えるという、二重の備えだと思う』と述べた。だが、屋内退避そのものの実効性には、自治体からも疑問の声が上がる。福井県の若狭湾に集中する原発から30キロ圏にある滋賀県は、16年の熊本地震を機に、原災指針の屋内退避について研究し必要な改定を求める要望書を提出した。東電柏崎刈羽原発がある新潟県が設置した三つの検証委員会は、これまで福島事故の影響を独自に分析、検証してきた。検証委の一つが22年に県に提出した報告書では、屋内退避について『被害が大きい地域については現実的に不可能であり、推奨されるものではない』と指摘している。この検証委の委員長を務めた東京大大学院の関谷直也教授(災害情報論)は『地震と複合災害で家に居続ける屋内退避ができないというのは当たり前のことで、これまでも指摘されてきたが何年も議論されてこなかった。それが今回も顕在化した』と述べる。その上で『避難計画はそれぞれの地域で議論していて共有する仕組みがなく、指針や計画に自然災害の見地が生かされていないのが課題だ』と指摘する。」
 2002年5月10日に、日本弁護士連合会が公表した「上関原発建設計画意見書」によると、上関原発計画の問題点の一つとして、原子力災害が発生した場合として次のように指摘しています。
 「避難・搬送車両が、上関大橋に集中する結果となり、災害時における避難・搬送経路としては、甚だ脆弱である。」「特に原子力災害が地震によってもたらされた場合には、避難・搬送ルートの確保に、より困難な問題が浮かび上がる。」「(離島で)船舶を保有していない世帯では、定期便あるいは避難救助用船舶を待つしかないが、原子力災害時にも、これらの定期便が順調に運航される保障はない。」
 能登半島地震での志賀原発の教訓を上関原発計画や伊方原発の避難計画の生かすべきと感じます。
 原子力災害が地震によってもたらされた場合の避難計画をどうするのか、真剣に考えていかなければならない問題です。
 皆さんのご意見をお聞かせください。

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