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厚南地域での30年の私と党の歴史を振り返り発言

 昨日、宇部市厚南地域で、日本共産党後援会の集いが開かれ、私は、厚南地域での30年の私と党の歴史を振り返り発言しました。

 私が発言した内容は以下の通りです。

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 私は、1991年に、26歳で宇部市議に初当選しました。
 31年前です。花田さん、原田さん、天満屋さん、谷口さんの4名から私を加えて5名に挑戦する選挙で勝利をおさめました。
 厚東川から西の厚南地域は、天満屋さんの担当地域でしたが、私が、初めて立候補しました。その時までは、山下さん、鈴木さん、岩村さん3名でしたが、その選挙で、私と新城さん、小川さん、三戸さんが立候補して、一気に厚南地域は、7名の市議となりました。
 私が当選した直後の1994年に、黒石小学校が開校し、ゆめタウンうべができるころで、ゆめタウンにゲームセンターを作るなとか、黒石小学校の給食を自校方式にするよう求める署名活動を行いました。
 1999年、34歳の時に浅野さんが引退され、私が県議に当選して、市議は、真鍋さんにバトンタッチしました。
 真鍋さんとタッグを組んで、宇部興産道路の半分が県道になった際、宇部湾岸道路のロングランプに防音壁を設置させる署名を県に提出して実現しました。
 また、宇部駅にエレベーターを設置させるために。JR西日本本社へ出向き要請しました。エレベーターを設置させることが出来ました。
 浅田市議とは、宇部市と県に、前回の選挙の目前に、西沖に計画されていた石炭火力発電所の建設中止を求め、実現させました。
 現在は、宇部西高校の存続を求める署名活動に取り組み、白紙撤回を求める活動に取り組んでいます。
 日本共産党は、要求実現活動と党勢拡大を車の両輪の活動と呼んで取り組んでいますが、日本共産党の厚南での30年は、住民の要求実現のためにともに戦ってきた歩みだったと思います。
 この歩みを止めてはならない。浅田市議を2回目の議会に送っていただき、住民の苦難軽減の役割を日本共産党がしっかり果たさせていただきたいと思います。
 私は、30年の間に家族を得て、西宇部小学校、厚南中学校のPTA会長を務め、今は、西宇部地区人権教育推進委員協議会会長、厚南中学校教育後援会会長を務めています。私も県議会の議席を得る決意です。

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 引き続き、皆さんのお声を藤本にお寄せください。

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