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映画「ブータン 山の教室」

 ワイカムシネマで映画「ブータン 山の教室」を観ました。
 今年も数多くの映画を観てきましたが、今年観た映画の中で最高の映画といっていい作品でした。来週までワイカムシネマで上映中です。
 11月から萩ツインシネマで上映予定のようです。一人でも多くの方に観ていただきたい映画です。
 映画のパンフレットのストーリーを引用します。
 「現在のブータン。教師のウゲンは、歌手になりオーストラリアに行くことを密に夢見ている。だがある日、上司から呼び出され、標高4800メートルの地に位置するルナナの学校に赴任するよう告げられる。一週間以上かけ、険しい山道を登り村に到着したウゲンは、電気も通っていない村で、現代的な暮らしから完全に切り離されたことを痛感する。学校には、黒板もなければノートもない。そんな状況でも、村の人々は新しい先生となる彼を温かく迎えてくれた。ある子どもは、『先生は未来に触れることができるから、将来は先生になることが夢』と口にする。すぐにでもルナナを離れ、街の空気に触れたいと考えていたウゲンだったが、キラキラと輝く子どもたちの瞳、そして荘厳な自然とともにたくましく生きる姿を見て、少しずつ自分のなかの『変化』を感じるようになる。」
 この映画は、一週間以上かけてトレッキングしなければたどり着けないブータンの集落「ルナナ」で撮影されました。この映画は第93回アカデミー賞国際長編映画賞に選ばれました。映画のストーリーは単純なものですが、ルナナの風景と、この文章にある「キラキラと輝く子どもたちの瞳」がこの映画を大作に押し上げています。
 とくに、学級委員を務めるペム・ザムの笑顔を観るだけでもこの映画を観る価値はあると感じます。
 ペム・ザムは、実際に、ルナナで暮らす少女です。映画で描かれている生い立ちも実際のものと同じだとパンフレットに書かれています。
 映画評論家の大場正明さんは、こう書いています。
 「もしウゲンがルナナ村に旅することなく海外に出ていたら、彼には語るべき物語もなかっただろう。だが、ラストで『ヤクに捧げる歌』を歌う彼は帰属意識を持つ語り部になっている。」
 映画の後半で、ウゲンは、学校を後にします。ルナナを訪れたことで、「帰属意識を持つ語り部になっている」という大場さんの見方に救われました。
 パオ・チョニン・ドルジ監督は、この映画の意図をこう語っています。
 「世界の景色がどんどん単一化されていくなかでブータンは独自の文化や伝統を頑なに守ってきました。(中略)必死に世界に追い付こうとするあまり、独自性が失われつつあるのではないかと、肌で感じるようになりました。本作は、ブータンのさまざまな話を継承しようという想いから生まれました。」
 ドルジ監督は、日本の観客にこう語っています。
 「100年前の日本はまさにブータンのような国だったのではないかと想像しています。」
 私は、山口県の山間地に生まれ育ち、この映画を観て、監督のその言葉をその通りだと実感します。
 私が生まれた半世紀以上前は、農家には、牛がいました。耕作に使っていました。
 風呂は五右衛門風呂で、ご飯は竈で炊いていました。
 まさに、私が生まれた頃から日本は「必死に世界に追い付こう」として、農村が「単一化」されてきたように感じます。
 私の子どもたちは、独自性のあった農村を全く知りません。ですから、「語るべき物語」がないのかも知れません。
 それでも、田植えと稲刈りには、毎年のように子どもたちを手伝わせてきました。その事が僅かでも子どもらの「語るべき物語」になればと思います。
 大学四年生の次男は、就職が内定しましたが、職場は東京です。
 わが故郷が、彼にとっての「物語」になれば幸いに思います。
 一方、この映画を観て「単一化」した日本の農村風景を思い知らされました。
 残りの人生で機会があるなら、ブータンに行きたい、出来たらルナナに行きたい、そんな想いのわく映画でした。
 それぞれの皆さんが「単一化」する社会を見つめなおすことのできる映画だと思います。
 ドルジ監督、すばらしい作品をありがとうございました。次回作を大いに楽しみにしています。
 映画は、人生を豊かにしてくれますね。
 皆さんがご覧になった映画の感想をお聞かせ下さい。

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