議員日誌

戦争を知らないけれど

 アジア・太平洋戦争が終わって、明日で73年になります。

 太平洋に浮かぶパラオの小島、ペリリューは戦争末期、1万人の日本軍兵士が命を落とす激戦地でした。

 今朝の毎日新聞は、ペリリユーで戦った兵士を描いた漫画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」が取り上げられています。

 本ブログでも一度、この漫画の事を取り上げたことがあるので、今日の「戦争を知らないけれど」の特集を興味深く読みました。

 ペリリユーでは、戦後1年9か月たった1947年5月、ようやく終戦を知った34人の兵士が日本に帰還しました。

 漫画の作者である武田さんは、生還者に会いに行きます。

 私が、今回の特集で一番興味深かったのは、漫画への協力を拒否した生還者の永井さんへのインタビュー部分です。

 永井さんに関する記述は次の通りです。

 「7月下旬、私は太平洋戦争の激戦地・ペリリューから生還した34人の一人、茨木健の永井敬司さん(97)の自宅を訪ねた。なぜ、漫画でペリリューの兵士を描く武田一義さん(42)への享禄を断ったのか。永井さんは、はっきりした口調で、「あそこで戦っていない人には分からない」と語り出した。18歳で志願し陸軍に入隊。満州で国境整備をした後、ペリリューへ派遣され、飛行場を米軍から守る最前線で戦った。23歳だった。戦闘はすさまじかった。米軍に挟まれ、身を隠した堤防を仲間と飛び出した。銃弾が地面に当たってあがる土煙で前が見えず、近くにいる仲間の安否すら分からない。『天皇陛下万歳!』と叫ぶ声が聞こえた。爆弾の破片が右の太ももを貫通しても痛みがなく、流れた血の冷たさで初めて気づいた。火炎放射器で、生きたまま壕の中で焼かれた兵士たちも見た。永井さんはそう語り、涙を浮かべた。『ペリリューで亡くなった人を思うと、漫画は軽い。賛成しません』」

 この特集を書いた竹内記者は、最後にこう書いています。

 「永井さんは私に悲惨な体験を語り、『昔のことを一人でも二人でも、若い人に知ってもらえれば』と話した。だが、私が『ペリリュー』の単行本を差し出しても、最後まで手に取ることはなかった。漫画の主人公・田丸は、悲惨な戦場でも人を思いやる気持ちを忘れず、ささやかな平穏が訪れると小さな手帳に絵を描く。私はその人間さしさに引き込まれ、自分を重ねられる気がした。」

 毎日新聞の特集記事に、原作者の武田さんは、永井さんの言葉を受け止め「知らないということを忘れたくない。だからこそ必死に、想像して近づこうとしている」と話しています。

 永井さんの「あそこで戦っていない人には分からない」という言葉はとても重く。1万人の命の重さを感じることができる言葉です。

 武田さんの「知らないことを忘れたくない」という言葉もとても重く受け止めました。戦場の現実を伝える姿に真摯な姿勢を感じます。

 自らも満州で戦争を体験した漫画家のちばてつやさんが、この漫画を次ように推薦しています。

 「若くて可愛らしい日本の兵隊さんが南海の美しいサンゴ礁の島で・・・『戦争』という地獄にまきこまれてゆくリアル。今こそ、子どもから大人まで、いや世界中の人々に読んで貰いたい漫画だ。」

 私は、戦争の現実を漫画で伝えようとする「ペリリュー」。今だからこそ、世界中で読んでいただきたいと思います。

 「ペリリュー」の単行本は現在までに5巻発行されているようです。

 この夏、漫画「ペリリュー」からしっかり学びたいと思います。

 漫画を通じて、主人公の田上を通じて、少しでもこの作品が多くの方に読み継がれることを期待します。

 漫画「ペリリュー」を読んだ皆さん、乾燥をお聞かせ下さい。

トラックバック

コメントはまだありません

No comments yet.

コメント

コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。

メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。