12月24日付「山口民報」に、安倍政権が、北朝鮮の核・ミサイル開発を口実にして萩市むつみの自衛隊演習場に巨大なミサイル基地(イージス・アショア)を建設しようとしている問題に関し次のような記事が掲載されています。
「むつみ村(当時)で自衛隊演習場計画が表面化したのは1957年。同年、米軍が秋吉台爆撃演習場を日本に返還し、共用していた自衛隊も利用をとりやめたことから、代替地としてむつみ村が浮上し、東台と道祖原をあわせた約二百ヘクタールが演習場にされました(1960年12月、利用開始)しかし、計画がすんなり進行したわけではありません。演習場化の動きを察知した地域元州民は、「演習場が誘致され農耕作業中に銃撃弾など飛来しては危険である」と57年2月17日、高俣支所で東台自衛隊演習場誘致反対決起大会を開催(『むつみ村史・上』以下『村史』)。村議会では5月に全員協議会を開いて対応を協議しますが、結局、容認した背景には当該地区に入植していた開拓農民の窮状がありました。戦後、国有開拓地となっていた同地には47年度から入植がはじまり、当初は旧満州からの引揚者、51年度からは山梨県・東富士演習場に土地を奪われた人々が就農。しかし、演習場化のため土地を手放した時点(60年8月)での返済不能の負債は一戸平均40万円(最低6万円、最高60万円)にのぼっていました(『村史』)。売渡し段階で残っていた開拓農家47戸200人のうち約半分が山梨県からの入植者で、再び他所へ追われることになったのです。演習場はつくられ現在まで頻繁に使われていますが、住民の反対運動の結果、自衛隊は当初の600ヘクタールの計画を3分の1まで大幅に縮小せざるを得ませんでした。開拓農民のなかった阿武町民が、現地に出向いての自衛隊の説明にもかかわらず最後まで反対し、同町西台の演習場化を阻止したからでした(『町史』)。
むつみ演習場はさかんに使用され、対テロ訓練用とみられる模擬市街ブロック構造物も確認できます。しかし、演習場南端の退隊員宿舎5、6棟は訓練時のものにすぎません。ところが、イージス・アショアが建設されると600人の隊員が常駐するほか、四方に放出する強力な電磁波で人や環境への影響が心配されます。演習場に隣接して集落(羽月6戸、岸高8戸)や無角和牛の郷(阿武町)があり、地元住民に情報を伝え、意見を聞くことが急務です。」
日本共産党中国ブロック事務所は、26日に、中国四国防衛局に対して要請を行います。
要請項目の中に、陸上配備型イージス(イージス・アショア)の問題が入っています。
私は、宮内・五十嵐萩市議とともに、要請行動に参加し、イージス・アショア計画について、現時点での中国四国防衛局の考えを問いただしたいと思っています。
先日、秋吉台を住民の運動で米軍の実弾演習場にさせなかった歴史を紹介しました。
その先に、このような歴史があったことをこの記事で初めて知りました。
阿武町の住民が、同町西台を自衛隊の演習場にさせなかったことに学び、「イージス・アショア」の計画について、県民の声を今、あげていくときだと思います。
「イージス・アショア」について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
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