今朝のしんぶん赤旗日刊紙に「朝日訴訟」の事が書かれてありました。
大学で福祉を学んだ私にとって、政治家として歩む私にとって「朝日訴訟」の浅沼判決は、生きる道標のような存在です。
朝日茂さんは、1957年に、医療扶助と日用品費として月600円の生活保護をうけていました。
福祉事務所は35年も音信不通だった兄を探し出し、月1500円の仕送りを約束させ、朝日さんに対する生活保護を打ち切り、仕送りの残りの900円を医療費の一部として国に納入する決定を下しました。
朝日さんは、国に対して訴訟を行い、1960年、第一審判決が下されました。
その判決が、裁判長の名を取り「浅沼判決」と言われています。
「人間裁判」の中で、二宮厚美さんは、この判決の意義をこう書いています。
「第25条の生存権を抽象的な権利にとどめず、国民の具体的な保護請求権を認めたものとして、解釈し、したがって国家は国民に健康で分解的な生活を保障する義務がある、と判決したことである。生活保護は第二五条を死文化させない、画餅に終わらせないために、健康で文化的な最低限度の生活を保障する水準でなければならないことになる。朝日さんは、これを『憲法二五条の勝利」とよんだ。」
「生存権保障に対する財政的制約論、国家財政均衡論を退けたことである。浅沼判決は、最低水準の判決は、その時々の予算配分によって左右されるべきものではなく、むしろ予算そのものが最低生活保障の水準によって『指導支配すべきもの』、すなわち導きだされるべきものだとした。予算が生存権を制約するものではなく、逆に生存権が予算を制約する、というわけである。憲法体制下の財政民主主義のあり方をきわめて明確に指摘した判決だといわなければならない。」
今日の安倍政権による社会保障切り捨て路線は、浅沼判決に反していると言わなければなりません。
浅沼判決が活きる社会に、憲法25条が活きる社会にしていきたいと決意を新たにした朝でした。
社会保障の改悪に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
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