昨日の朝、脚本家の岡田麿理さんが、NHKの番組に登場されました。
岡田さんは、小学校高学年から高校まで学校に行けない日々が続きました。
岡田さんは、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがっているんだ。」などのアニメの脚本を書いた方です。
岡田さんは、初の自伝「学校へ行けなかった私が『あの花』『ここさけ』を書くまで」をこの程上梓されました。
早速、購入し、今読んでいます。
小学校5年の頃から学校に行けなくなった岡田さん。
6年生の担任の先生は、岡田さんが尊敬していた5年の担任の先生を批判し、岡田さんに決定的な一言を吐きます。
「押田先生のせいで、麿里は不登校児になった」
岡田さんは、6年生の担任から、この言葉を言われ次のように書いています。
「登校拒否児のレッテルを貼られたとたん、私は以前より学校をよく休むようになった。月に二度だったものが、がっつりと半分は休むようになった。絶対に受け入れたくないものを強引に飲み込まされたことで、ある意味で開き直って楽になれたのかも知れない。」
中学校では、頑張って学校に行きましたが、数日休んで学校に行った岡田さん。
みんなが優しくなっていました。岡田さんが小学校時代に不登校児だったことが学校中に広がっていたのです。
岡田さんは、その時のことをこう書いています。
「それは私にとって屈辱でしかなかった。腫れもの扱い、ぽかんと浮いた存在。憐れまれるぐらいなら、無視されたほうがましだ。それでも、どうからどう立て直せばいいかもわからずに、すべてを放り出したくなってしまった。」
岡田さんは、その日以来5年半の長きにわたって学校に行けなくなりました。
脚本家の岡田さん、学校にいけなく自分の気持ちを赤裸々に表現しています。
私は、ここまでの文章を読んで、ありのままの岡田さんを受け入れる学校であってほしかったと思いました。
今、学校に行けない、引きこもりになっている子どもたちが大勢います。
それぞれ理由はあるのでしょうが、「ありのままの自分を受け入れてもらえない」苦しみは共通しているのかも知れないと思いました。
岡田さんが、どうして、脚本家になったのか。後半を今日から読み進めたいと思います。
そして、昨日、岡田さんが脚本を書かれた「心が叫びたがっているんだ」を観ました。
両親の離婚依頼、言葉を発せなくなった高校生の順が主人公のドラマです。
地域の方にミュージカルを披露することになった順のクラス。
本番当日に、舞台に立てない順。粘り強く順に立ち向かう拓実。
学校に行けなかった岡田さんだからこそ書けたシナリオだと納得しました。
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」は、まさにひきこもりの少年の物語。
テレビアニメ版からじっくり鑑賞したいと思います。
岡田さんの本と脚本を書かれた作品を鑑賞して、子どもに向かう視点を鍛えたいと思います。
岡田麿里ファンの方も多いと思います。「あの花」「ここさけ」など岡田脚本作品に関する皆さんの感想をお聞かせ下さい。
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