議員日誌

平和の灯

 12日の土曜日は、小学校の授業参観日でした。

 小学6年生の長女は、広島市の平和記念公園を修学旅行で訪れました。

 授業参観では、子供たちが、広島に投下された原爆のことをまとめて保護者や周りの人に発表する内容でした。

 まずは、娘の発表を聞きました。原爆投下の目標地点が福島病院だったことなどよく調べていました。

 次に、娘の近くの机の男子の発表を聞きました。

 この男子の発表には最後にクイズが付いていました。

 クイズはこのような内容でした。

 「平和記念公園の中に、『平和の灯』がありますが、この火が消える時はどのような時ですか。」

 平和記念公園のHPで改めて「平和の灯」について調べてみました。

 HPに「平和の灯」について次のような解説が書かれてありました。

 「この火は、1964年8月1日天下されて以来ずっと燃え続けており、『核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう』という反核悲願の象徴となっています。」

 1964年は私が生まれた年でもありますので、「平和の灯」は、52年燃え続けていることになります。

 10月27日、国連総会で軍縮問題を担当する第一委員会は、核兵器禁止条約などを交渉する会議を招集する決議案を123か国の圧倒的多数の賛成で採決しました。

 アメリカの「核の傘」に頼る安倍政権は、決議案に反対しました。「唯一の被爆国」として恥ずべきことです。

 11月11日、安倍首相は、インドのモディ首相と会談し、両政府は日本からインドへの原発輸出(核物質、資機材、設備・技術)を可能にする原子力協定に署名しました。

 1998年以降、核保有国になったインドへの原発輸出は核兵器開発を後押しするものであり、「唯一の被爆国」としての日本の道義的立場を放棄することになります。

 核兵器禁止条約などの交渉をする会議を招集する決議案に日本が反対したことに対し、また、日印首脳会議で、日本からの原発油種s津を可能とする原子力協定が締結されたことに対し、広島・長崎の被爆地から怒りの声が上がっています。

 12日の毎日新聞に、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長は「『唯一の被爆国』と言いながら、言葉と実際の行動が合っていない。これでは、世界からの信頼はなくなる」と語っています。

 安倍首相は、8月6日の平和の灯の近くで行われる追悼式で「核兵器のない社会の実現」を口にします。

 しかし、一方で、「核兵器のない世界」に逆行する立場を取っていることは、まさに「言葉と実際の行動が合っていない。」と言わなければなりません。

 宇部市の小学校6年生を始め、今年も全国から多くの子どもたちが、広島平和記念公園を訪ね、「平和の灯」を見学して、一日も早く、この灯が消える時代を築こうと誓いあいました。

 安倍首相は、子どもたちの願い、被爆者の願いに応え、「唯一の被爆国」の政府の首相として「核兵器廃絶」の立場で実際に行動すべきです。

 授業参観で子どもから多くの事を学ぶことが出来ました。原点に立ち返ることが出来た思いでした。

 私も核兵器廃絶のために、粘り強く活動を続けていこうと決意を新たにしました。

 核兵器廃絶に対する皆さんの想いをお聞かせ下さい。

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