内田樹さんと石川康宏さんの「若者よ、マルクスを読もう」を読んでいます。
この本は、マルクスが青年期に書いた著作を紹介したものです。
その中に、「経済学・哲学草稿」があります。
石川先生の解説によると、「経済学・哲学草稿」は、1932年にアドラッキーという人が、パリ時代のマルクスが書き残した3つの手稿をもとに独自に編集をほどこし、こういうタイトルをつけて出版したものです。
私の書棚に大月書店国民文庫の「経済学・哲学手稿」があります。
私が、日本福祉大学の1年生のゼミで、「経済学・哲学手稿」を勉強していたのです。
当時、日本福祉大学で教鞭を取っておられた平野喜一郎先生が指導教官でした。
今思えば、経済学の重鎮である平野先生からもっと学んでおけばよかったと後悔ばかりです。
平野先生の痩身のお姿、ハイトーンで穏やかなお声は、今も忘れることができません。
廣松渉さんの「青年マルクス論」や細谷昂さんの「マルクス社会理論の研究」などは、当時のゼミで使っていたもので、今も私の本棚にあります。
この本の中の有名なテーゼの一つが「疎外された労働」でしょう。
「疎外された労働」とはいったいどのようなことなのだろうと、知的洗礼を受けたことをおぼろげに思い出しています。
しかしながら、青年時代にマルクスをかじったことが、私の今を形成していることは間違いありません。
青年時代に平野喜一郎先生から「経済学・哲学手稿」を学んだことは、大いなる財産だったと、「若者よ、マルクスを読もう」を読んで思い返しました。
「若者よ、マルクスを読もう」の中での内田先生のマルクスへの評価の視点には驚きました。
内田先生は「ぼくがマルクスを愛する最大の理由は、マルクスが世の中の仕組みをさくさくと解明してくれたことでも、どうやって階級のない社会を構築するか、その道筋を指し示してくれたことでもなく、マルクスを読むと自分の頭がよくなったような気になるからなんです。」と言い切ります。
更に内田先生は「マルクスはぼくの問題を解決してくれない。けれども、マルクスを読むとぼくは自分の問題を自分の手で解決しなければならないということがわかる。」と書いています。
そして、内田先生は、「共産党宣言」の最後、「万国のプロレタリア団結せよ」がすばらしいと書いています。
「『決起せよ』でも『打倒せよ』でも『奪還せよ』でもなく、『団結せよ』というところがぼくはすばらしいと思います。」
「『決起』や『打倒」であれば、それに取りかかるのに、地下組織を編成したり、武器を入手したり、手間ひまがかかりそうですし、そもそもわりと非暴力的なタイプの人にとっては飲み込みにくい言葉です。けれども、『団結』であれば、とにかくこの本を閉じたその瞬間から可能です。隣にいるプロレタリアに手を指し出して『がんばろうね』と言えばいいんですから。」
内田先生のマルクスを評価する視点は私にとってとても新鮮でした。
内田先生のこの言葉は、参議院山口選挙区のこうけつ候補を応援する私の足場にも通じるものだと感じました。
こうけつ候補勝利のために、「県民は団結しよう」。
「若者よ、マルクスを読もう」は私の青春時代を思い起こしてくれました。
私の子どもたち世代に、この本が普及されることを願います。
そして、若者だけではなく壮年の私たちも「マルクスを読もう」と思いました。
石川先生は、マルクスを読む意義は「ものごとを大胆に分析させる『大志』や『勇気』を得ることだったように思えます。」「私にとっての『大志』や『勇気』の源は、それまでの学問の枠にまるでとらわれるところのないマルクスのある種、野蛮といっていい、惚れ惚れするほどの自立の精神だったように思えてきます。」と書いています。
壮年の私は、今、直面している問題を解決する「大志」や「勇気」を得るためにマルクスを読もうと思います。
マルクスに対する皆さんの想いをお聞かせ下さい。
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