今日は、西宇部小学校PTA主催のバス旅行で周防大島に行きました。
まず、行ったのは、星野哲郎記念館。山口県が生んだ偉人の一人である星野哲郎さんの記念館。一度は行こうと思っていました。星野哲郎さんは、4000曲をこえる歌謡曲の作詞をされました。私が、感動したのは、その原点が、20代前半の闘病生活にあったというエピソードです。記念館で買った佐藤健著「わたしの生き方星野哲郎」によると、星野さんは、高等商船学校を卒業し、漁業会社に就職しますが、結核性の腎臓病を患います。病床での楽しみは、詩や小説を投稿することだった星野青年。偶然応募した「コロムビアレコード全国府県対抗歌謡コンクール課題歌詞募集」で入選したことがきっかけで作詞家・星野哲郎が誕生したそうです。星野さんの歌詞は、「援歌」と呼ばれていますが、星野さんの詞は、若い時の苦悩を乗り越えたものだから、多くの人を励ますのでしょう。また、星野さんの詞には、海の詞が多いですが、実体験に基づいているから説得力があるのだということがよく分かりました。
もう一つ感動したのは、「風雪ながれ旅」誕生秘話です。星野さんが、心筋梗塞で入院している時に、友人が「高橋竹山」の自伝を持ってきた。星野さんは、その本を読んで感動してこの詞が出来たそうです。私は、高橋竹山のCDを聞き自伝を読んでいます。私の川柳の駄作に「竹山の三味が津軽を旅させる」というのがありますが、私は高橋竹山を敬愛してきましたが、「風雪ながれ旅」のモデルとは知りませんでした。
「風雪ながれ旅」は好きでカラオケで何度も歌う曲の一つです。特に、「三味が折れたら、両手で叩け バチが無ければ 櫛でひけ」の詞にはインパクトがあると思っていたのですが、竹山がモデルと知ると余計にこの歌詞に力を強く感じます。今日は、星野哲郎記念館に行くことができてとてもいい一日でした。
サザンセトで昼食を取って、道の駅に寄って帰る予定でしたが、急きょみかん狩りにと話がまとまり直行しました。平日でしたので、貸し切り状況でのみかん狩りでした。みかんを沢山食べて、子どもたちにお土産も買いました。
PTA会長として今年度の大きな行事がほぼ終わりました。楽しい旅行となりほっとしています。
星野哲郎記念館にある星野さん等身大のレリーフ
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