盆になりました。今日は、これから、子どもと映画に行きます。「レミーのレストラン」です。夕方は、盆踊り大会です。明日は、宇部市の図書館に行きます。午後は、農業です。明後日は、父の初盆です。夜は、高校の同級生と食事をします。十四日は、県立博物館に母と家族みんなで行こうと思います。昭和展をやっているので楽しみです。夜は、怪談を観に行こうかな。15日は、子どもたちと厚生年金センターのプールに行こうと思います。夕方は、保育園の方々と食事をします。
盆前後にしたことは、まず、我が家の草引きです。そして、小学校に来年入学する3男と自転車の練習。小中学校の友人との恒例の食事会もあります。今読んでいる「樅の木は残った」は、現在、中の途中ですが、盆休みの間に、なんとか読了したいと思います。そうなると、この部屋の大掃除はまた、後回しになりそうです。
二つの大きな選挙が終わって、この盆は少しゆっくりします。自宅と実家と周辺を周遊する安近短の休みになりそうです。
今日から、県議会厚生委員会の県外視察に行ってきます。木曜日に帰ってきますので、明日と明後日のブログはお休みします。携帯からの更新という方法もあるのでしょうが、そこまで習熟していないので、申しわけございません。
昨日は、わが空手道場の夏季合宿でした。大人が30名、子どもが、50名、家族の方も入れると総勢100名を越えるものでした。合宿といっても練習は、1時間程度で、海水浴やバーベキューを楽しみました。子どものジャンケンクイズでは、我が息子が勝ってプレゼントをもらっていました。以前は、弟がプレゼントをもらい自分がもらえず悔しい思いをしていたので、大変喜んでいました。大人の腕相撲大会がありましたが、私は、今後のことも考えて出場を断念しました。と、かっこいいことを言っていますが、出場選手腕を見るととても出場する気なれなかっただけです。
近所の息子の同級生も合宿を満喫し、無事に3人で家路にたどりつくことができました。子どもたちには、夏の楽しい思い出の一つが出来たと思います。
それでは、視察に行ってきます。
じゃんけんゲームに勝って、喜んでいる息子(左端)
今、赤旗日曜版の配布から帰ってきました。NHKラジオで、五木寛之さんの青春の歌を綴ったシリーズの再放送が流れていました。その中で、「原爆許すまじ」が流れていました。五木寛之さんの本は、「青春の門」や「蓮如」「日本人のこころシリーズ」などを読みました。最近では仏教に関わる著作も多い五木さんですが、独自のスタンツの中にも、平和を願う思想は共感するところ多くあります。
久しぶりに「原爆許すまじ」を聴きました。私は、大学のサークルで、これらの歌をよく歌っていました。数年前に、久しぶりに大学に行って、サークルの部屋に入れてもらいいまして、後輩が元気に活動しているのを見ましたが、彼らも、今は、歌はあまり歌っていないではないかと思います。肩を組んで歌を歌った最後の世代ではないかと思います。厚南で開かれている「うたごえ喫茶」に数回行ったことがありますが、そこで歌われている歌の半分位は歌えます。
「原爆許すまじ」の聴いていて、歌の中にある「三度許すまじ原爆を」のフレーズが、私の決意であることを改めて実感しました。
我が一族の中にも伝えなければならない戦争の悲劇があります。私の祖母の妹が味わった辛酸です。この中身は、02年8月17日の「ウベニチ」にも大きく報道されました。彼女は、石川みち枝といい。今は、歌は詠んでないようですが、数年前まではあらつちの同人として歌人でした。彼女は米寿になりましたが、今も元気で小野に暮らしています。
彼女の夫は、旧満州の電電公社に勤めておいました。彼女序ら家族は、満州で暮らしていました。そして終戦となりました。彼女は、その時、妊娠7ヶ月でした。彼女は、2才の長男を守ることでやっとでした。結局、彼女ら家族が帰国することができたのは、終戦の翌年の7月となりました。
その間に、生まれたばかりの子どもとの別れがありました。彼女は、11月に女の子の出産。しかし、100日で女の子は死んでしまいます。彼女が今も悔やむのは、女の子の痩せた小さな亡骸を埋めることが出来なかったことです。極寒の満州の土は凍っていたのです。
彼女の句を紹介します。
おくり火に亡き夫偲び大陸に埋め来し吾子の齢を数ふ
昨日は、戦争中に餓死させられた上野動物園のインド象の「はな子」の物語が放映されていました。60年前の歴史に真摯に向き合う8月にしたいものです。そして、この歴史を繰り返してはならない決意を新たにする月にしたいものです。
県庁の現職死亡者の状況について新しい情報が届きました。県職労のH9~H18までの10年間の調査で、69名となっています。69名の内訳は、1位が悪性新生物の29名。2位が、自殺で17名。3位が心疾患の15名となっています。先に私は、近年、自殺者が県庁で多いということを指摘しましたが、現職死亡者の理由の2位になっているのには驚きました。知事は、「働きやすさ日本一」の県庁にまずすべきです。
公務員制度改革の名目で、先の国会で、国家公務員法の改悪が強行されました。改悪の一つの中身は、「官民人材交流センター」の設置です。私たちは、これは、官僚専用の「特製ハローワーク」であり「天下りあっせん機構」だと考えます。
改悪の二つ目は、「能力・実績主義」の人事評価制度の導入です。政府・与党は、これを地方公務員にも適応しようと、地方公務員法の改悪法案を国会に提出しています。現在継続審議ですが、次期国会から審議が再開されるでしょう。
私は先に、「公務職場に成果主義が導入されて、住民サービスの質が落ち、メンタル不全者が増えている」との識者の発言を引用しましたが、公務員に成果主義を導入することが住民にとって得策なのか検証すべきと思います。また、実際に成果主義を導入した民間企業で労働者はどうなっているのか検証すべきと思います。その十分な検証もしないまま、ただただ成果主義を公務職場にも導入したら、精神疾患や自殺者を増やす結果にしかならないのではなかと思います。
地方公務員法の改悪法案の採択はこれからですから、何とかくいとめていかなければなりません。県庁でも、冒頭の数字なども検証しながら、「成果主義」の導入は慎重になるべきです。
昨日、県議会土木建築委員会が、宇部港東見初地区港湾整備事業の視察を行い、私は、地元議員として、同席しました。
現在、県が事業主体となって、約400億円の事業費で、フジグランうべ沖79.2㌶の埋立が行われています。これが、東見初の港湾整備事業です。来年10月からの一般・産業廃棄物の搬入開始に向けて、廃棄物埋立護岸の工事が精力的に行われていました。
当日、示された埋立用材の内訳を見て、愕然としました。土量701.2万・に対して、430.2万・は、しゅんせつ土で占められています。つまり、埋立用材の6割以上が、しゅんせつ土なのです。宇部港は、遠浅のため、常時しゅんせつをしなければなりません。そうなれば、宇部港は永遠に、埋立をし続けなければならなくなります。しゅせつ土を港湾開発の埋立用材として使い、開発面積が過大となるという悪循環は見直す必要があると思います。また、H13年の宇部港港湾計画の見直しの時に、「小型船舶の大型化」を理由に、-4.5㍍の岸壁を-5.5㍍に変更しています。このことに伴い泊地確保のためのしゅんせつ土も増加しているはずです。現在の宇部港の利用状況から-5.5㍍の岸壁が必要なのかどうかについても検証しなければなりません。過大な岸壁整備が、過大なしゅんせつ土を生み、過大な港湾開発に結びつくのであれば問題です。更に、これらしゅんせつ土の中には、国直轄の宇部港本港航路のしゅせんつ土も含まれています。国直轄事業で発生する土砂は、国で責任で処分してもらうことも必要だと思います。現在、宇部港で発生するしゅんせつ土の内、国直轄事業で発生する土の割合を調査したと思います。
以上のことから、私は、宇部港東見初地区港湾整備事業の目的の一つは、しゅんせつ土の処分場所の確保にあると考えています。
開発後の土地利用計画の用途を見ると、79.2㌶の内、15.9㌶がスポレク施設用地、19.5㌶が緑地となっています。緑地の確保を否定するものではありませんが、開発面積の約45%も港湾事業と直接関係のない事業で占められいるというのは、そもそもこの開発が過大であることを示しているのではないでしょうか。
H13年の宇部港港湾計画で、マリーナ計画が中止されました。これは、賢明な判断だと思います。しかし、人工海浜計画は残されたままです。私は、砂の搬入など、人工海浜を形成するための予算は、400億円の中に含まれているのか、県の担当者に聞きました。県担当者は、海浜手前の緑地部分の埋立や護岸については約30億円で整備する計画だが、その先の海浜部分については予算化していないとの回答でした。
1.15キロもある海浜に砂を搬入すれば、どれほどの費用がかかるでしょうか。近隣には、きわらビーチなどの自然海岸が存在します。工業地帯の人工海浜に市民は多く訪れるでしょうか。
私は、人工海浜につては、至急、費用対効果を検証し、次回の港湾計画の見直しでは削除すべきだと考えます。
また、いまからでも、東見初地区港湾開発計画の縮小見直しが必要であることを今回の視察を通じて痛感しました。
総事業費400億円かけて進められる東見初の工事