今日も井上ひさしの「子どもにつたえる日本国憲法」から引用します。
今日は「あとがき」を引用します。
「なにか大きな失敗をしでかしたあとは、ああ二度とあのような失敗をしないようにしようと思う。そこが人間のすばらしいところです。第二次世界大戦のあとの世界の人たちも、あんなにむごたらしく悲しい大戦はもうするまいと思い、たとえば国際連合というような集まりを作りました。もう二度とあのような苦しみを、悲しみを味わうのはごめんだ、人間はもっと賢く生きられるはずじゃないのか。これがあの大戦争のあとの、世界の人たちの切な想いであり、痛切な願いでした。この世界の人たちの想いや願いをひとつに集めたものが、じつは日本国憲法です。」
「いったい、もめごとがあっても武力でではなく話し合いで解決しようという考え方のどこが古いのでしょうか。このせまい小さな水惑星の上で、むやみやたらに火薬を爆発させていたら、しまいには人間が住めなくなる。だから戦などしている余裕はない。なんとかしてすべてを話し合いで・・・!たいていの人がそう願っています。そうなると、私たちの憲法は古いどころか、世界の人たちの願いを先取りしていることになります。じっさいに、『21世紀の半ばまでに、すべての国の憲法に日本国憲法の前文と第9条を取り入れよう』と唱えて、勢いよく活動している国際的な集まりさえあります。」
「この60年にわたって、私たちは目先のことに惑わされて、いろんなものを簡単に捨ててきました。日本にあるものはたいていつまらないものばかりだから捨ててしまってかまわないという考え方は、日本にあるものすべて尊いとする考え方と同じように、まちがいだと私は思います。捨ててよいものもあれば捨ててはいけないものもあって、後者の代表は日本国憲法ではないでしょうか。これを捨てることは、世界の人たちから、希望をうばうことになりますから。」
この本は、2006年に出版されました。井上ひさしさんは、2010年に亡くなっておられます。
私は、この本のあとがきは、井上さんの強い遺志が語られているものだと思いました。
政治学者の中島岳志さんは、「民主主義の主体はいま生きている人間、つまり『生者』。それに対して、立憲主義の主体は『死者』なのです。」
とある本で述べておられます。
「立憲主義における憲法は、国民が権力を縛るためのルールです。では、そのときの国民」とは誰なのか。立憲主義が前提としている国民は、生きている国民だけではない。その中に死者が含まれている。いや、むしろ死者が主役なのです。」
中島岳志さんはこうも書いています。
井上さんの遺志は、日本国憲法を捨ててはならないということです。
私は井上さんの遺志を受け継ぎ、立憲主義における日本国憲法を捨てないためにこれからも力を尽くしていきたいと決意を新たにしました。
「井上ひさしの『子どもにつたえたい日本国憲法」を座右において、これからの活動に生かしたいと思いました。
日本国憲法に対する皆さんのご意見をお寄せ下さい。
10連休最終日です。
選挙後ということもあり、様々な行事が連休中もあり、バタバタとした連休でしたが、明日からの県議会議員としての本格的スタートにあたり、今日は、机の周りの片づけを行っています。
本棚から溢れた本を今、古本屋に持っていきました。
引き換えに素敵な本を見つけました。
「井上ひさしの『子どもにつたえる日本国憲法』」です。
絵がいわさきちひろで、素敵な絵本に仕上がっています。
憲法9条の部分は当然ですが、今日は、憲法前文のこの部分が意味深く伝わってきました。
井上さんが子どもにつたえるために要約した憲法前文のある部分の文章が次の通りです。
「自分たちのためになることばかり言い立てて ほかの国をないがしろにしてはならない これはいつどんなときでも 守らなければならない決まりごとである この決まりごとを私たちもきびしく守って 日本国のことは、国民である私たちが決め、ほかの国国の主人になろうとしたり 家来になろうとしたりせずに どこの人たちとも同じ態度でつきあうことを誓う どんな国でもそうしなければならいと 信じるからだ」
これは、憲法前文のこの部分の井上さんの意訳です。
「われわれは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して 他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」
憲法前文にある「いずれの国家も、自国のことのみに専念して、他国を無視してはならない」との普遍的な「政治道徳の法則」が崩されようとしていると、ある本を読みながら痛感しています。
その本とは、ここ数日読んでいるナオミ・クライン著「NOでは足りない トランプ・ショックに対処する方法」であり、政治道徳の法則の崩壊について感じたのは、本著、95ページからの章「地球温暖化―保守派はわかっている」で書かれてある部分です。
ナオミ氏は、「筋金入りの保守派が気候変動を否定するのは、気候変動対策によって脅威にさらされる莫大な富を守るとするからだけではない。彼らは、それよりももっと大切なもの-新自由主義というイデオロギー・プロジェクト-を守ろうとしているのだ。すなわち、市場は常に正しく、規制は常に間違いで、民間は善であり公共は悪、公共サービスを支える税金は最悪だとする考え方である。」と指摘しています。
新自由主義のアメリカでの極端な現れが、今のトランプ政治であり、日本での現れが、安倍政治ではないかと私は感じました。
アメリカが他国を無視して自国のことのみに専念する世界になろうとしています。この中で日本の主権も侵されようとしています。
ナオミ氏は、「気候変動は現代の保守主義が足場にするイデオロギーを粉々に打ち砕いてしまうのだ。気候危機が現実のものだと認めることは、新自由主義政策の終わりを認めることになる。だからこそ右派は物理的世界に抵抗し、科学に抵抗しているのだ」とも指摘しています。
その上でナオミ氏は「地球温暖化の事実をなんとしても否定し、温暖化の影響をできるだけ軽視しようと躍起になっているトランプ政権の閣僚たちは、ある意味で根本的な真実を理解しているといえる。すなわち、気候カオスを回避するめには、1980年代以降世界を支配してきた資本主義イデオロギーに異議を突きつける必要があるということだ。このイデオロギーから恩恵を受けている人たちは当然、不満に思うだろう。それは理解できる。だが地球温暖化の影響は甚大であり、しかもどんどん悪化していく。これが事実であれば-疑いようのない事実であるが-富裕層のやりたい放題をこのまま許すわけにはいかない。今や、それを止めることに人類全体の生き残りがかかっている。」と述べています。
ナオミ氏の言葉「断固とした『ノー』には、大胆で前向きの『イエス』が伴わなければならない。」を再度思い起こしたいと思います。
私の「イエス」は、憲法前文でいう普遍的な政治道徳の法則を世界が共有することだと思います。
「いずれの国家も、自国のことのみに専念して、他国を無視してはならない」立場に全ての国が立つことが、ナオミ氏が指摘する「人類全体の生き残り」がかかる課題に対処していく上で、きわめて重要な視点だと思います。
憲法前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という言葉もあります。私は、この言葉も前向きな「イエス」が含まれていると思います。
この憲法前文の部分を井上ひさしさんは次のように意訳しています。
「私たちは、世界の人たちがみな こわがったり飢えたりせずに ただおだやかな生き方をしたいと願うのは 当たり前だということを いま一度 自分に言い聞かせ どんなことがあっても そのじゃまをしてはならないと たしかに決めた」
「世界の人たちがみな こわがったり飢えたりせずに ただおだやかな生き方」ができる世界の実現のために、トランプの政治や安倍政治にこれからも必要な「ノー」を発信していこうと私は思いました。
5月3日は、憲法施行72周年の日でした。昨日は、子どもの日でした。
連休最終日にあたり、「おだやかな生き方」ができる日本と世界の実現を心から願います。
憲法前文に対する皆さんのご意見をお寄せ下さい。
アダム・マッケイ監督の映画「バイス」を北九州市の映画館で観ました。
この映画は、アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞し、ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞などを受賞しました。
ディック・チェイニーを演じた主演のクリスチャン・ベールは、約半世紀に渡る彼を演じました。体重を20キロ増やして、副大統領時代のチェイニーを演じました。クリスチャンの演技は、チェイニーそのものでした。
映画は、まず、青年チェイニーを描きます。飲酒運転で逮捕されるなどすさんだ青年時代を過ごすチェイニーは、恋人リンの支えで立ち直り、政界への道を志します。当時、下院議員だったドナルド・ラムズフェルドのもとで政治の表と裏を学びます。
映画は、ジョージ・ブッシュが大統領になり、チェイニーが副大統領になってからを描きます。
2001年9月11日、同時多発テロがアメリカを襲います。
チェイニーは、ブッシュ大統領の耳元で「大統領はあなただ。戦争の決断はあなたが下す。権力を握っているのはあなたひとりです」とつぶやき、大統領は、イラク侵攻を決断します。
近現代のアメリカ政治の結節点をこのような映画につくり上げた、アダム・マッケイ監督を始め、スタッフの皆さんの力に敬意を表します。
今、ナオミ・クラインの「NOでは足りない トランプ・ショックに対処する方法」を読んでいます。
この本の冒頭に、「ディック・チェイニー」の名前が出てきます。
ナオミ・クラインは、トランプ政権とそれまでの政治を「むきだしの企業による政府乗っ取りであり、それには、何十年もの歳月がかかっている」と述べ、トランプ政権前のアメリカ政治は、仮面を着けていたとして次のように書いています。
「これまでのアメリカ政治においては、企業国家のホワイトハウスの代理人は何らかの仮面を着けていた。笑みを浮かべた俳優の顔をしたロナルド・レーガンしかり、似非カウボーイの顔をしたジョージ・W・ブッシュしかり(その後ろにしかめ面をして控えていたのはディック・チェイニー/ハリバートンだ)。だが、その仮面はもうない。それどころか誰も仮面を着けているフリすらしない。」
映画のパンフレットで政治学者の渡辺将人さんが「チェイニーは皮肉にも後継2代の政権の間接的な生みの親だ。『反動』の種を播いた主だ。」と書いています。
チェイニー副大統領が、今日に至るアメリカ政治の企業による乗っ取りを大きく加速させた張本人だという指摘は、この映画を観て大きく頷けます。
ナオミ・クラインは、トランプの首席戦略官で、第一線から外されたとみられるスティーヴ・バノンの言葉を次のように引用しています。
「トランプ政権がめざすのは『行政国家(国民とその権利を守ることを使命とする政府規制や政府機関という意味でバノンは使っている)を解体すること』である」
その上で、ナオミ・クラインは、「断固とした『ノー』には、大胆で前向きな『イエス』が伴わなければならない。」と述べています。
映画「バイス」は、トランプ政権に至るアメリカ政治を知る上で最良の素材を与えていると思います。
トランプ政治に「ノー」という根拠をこの映画は示していると思います。
その上で、大胆な前向きな「イエス」を考える材料をこの映画は示しているとも思いました。
アメリカ政治を知ることは日本政治を知ることに通じます。
トランプ政権に最も忠実な安倍政治を考える上でも最良の材料をこの映画は示していると思います。
映画「バイス」多くの方に観ていただきたい映画です。
そして、この映画を素材に大いに未来を語りたいと思います。
この映画を観られた感想をお聞かせ下さい。
今朝の、しんぶん赤旗日刊紙「主張」は、「石炭火力発電」を取り上げ次のように書いています。
「安倍晋三政権が4月末に公表した温室効果ガス削減についての長期戦略案に、環境団体から批判が相次いでいます。長期戦略は、地球温暖化対策の世界的枠組みであるパリ協定にもとづき国連に提出が義務付けられたおのですが、政府の戦略案が、求められている水準からの立ち遅れがあまりにもはなはだしいためです。原発の推進を掲げるとともに、CO2排出量の多い石炭火力発電を温存する姿勢を打ち出したことは『古びたビジョンの塗り直し』と厳しい指摘があがっています。長期戦略は根本からあらためるきです。」
「政府が先月まとめ、今月16日まで意見公募(パブリックコメント)を行っている長期戦略案は『脱炭素化』を掲げたものの、ドイツなどでは明記している石炭火力発電の『全廃』の方向は示さず、『石炭火力等への依存度を可能な限り引き下げる』と温存に固執しました。日本国内の石炭火力発電は住民の反対運動などによって計画を中止したケースがありますが、新増設計画は25基もあります。長期戦略案はこの動きにお墨付きを与え、CO2の体力排出を続けることにしかなりません。欧州各国や米国の州では石炭火力の段階的廃止(フェーズアウト)が大きな流れです。石炭火力への投資から手を引く金融機関も相次いでいます。世界の潮流に逆らう長期戦略案の道理のなさは浮き彫りです。」
「安倍政権は6月に大阪で開かれるG20サミット(20カ国・地域首脳会議)までに長期戦略を決定する予定です。石炭火力発電からの撤退に背を向け、原発推進をやえない長期戦略では、世界と未来への責任は果たせません。温暖化対策を促進するための真剣な対応こそ求められます。」
尊敬する先輩からナオミ・クライン著「これがすべてを変える 資本主義VS気候変動」を紹介され、この連休に読んでいます。
本書でナオミ・クラインは、「サイエンティフィック・アメリカン」誌の編集主任ゲーリー・スティックの文章を引用しています。
「気候変動に対して抜本的な対策を打ちだそうというのであれば、私たちは社会的側面における根源的な解決法こそ見出さなければならない。」
その上で、ナオミ・クラインは、「こうした社会的側面-そして政治的・経済的・文化的側面-における根源的な変革をテーマにしている。私の関心は、化石燃料による『ブラウン』エネルギーから『グリーン』エネルギーへ-といった転換のメカニズムより、何がそうした転換を妨げてきたかにある。長い間、問題の解決法は理解されていたにもかかわらず、必要とされる規模には到底届かないレベルでとどまっていたのはなぜか、どんな力や思想上の障害がそれを阻んできたのか、ということだ。」と書いています。
ナオミ・クラインは、「人類社会が進むべき思想的方向を転換し、誰が力を握るかの均衡を変えていくという大きな闘いに挑んでこなかったために、気候変動に対する強固な取組は政治的に不可能だ-とりわけ経済危機の時代にあっては(今はそれが常態と化しているが)―という文脈が、徐々に形成されてしまったからである。」とも書き、「大きく考え、深く行動し、思想の軸を、惑星地球の健康にとって最大の敵となった抑圧的な市場原理主義から遠く離れたところへ動かす、ということだ。」と述べています。
安倍政権は、人類社会が進むべき方向を阻害したままの方針しか提示できていません。
今こそ、大きく考え、深く行動し、惑星地球の健康にとって、賢明な選択を行える政治に切り替えていくときです。
この連休、ナオミ・クラインの著作を読みながら、日本で石炭火力発電所がなぜ維持され、宇部市に新設されようとしているのかの背景を学び、転換への展望を学びたいと思います。
石炭火力発電に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
憲法施行72周年記念日にあたり、日本共産党の小池晃書記局長が談話を発表しました。
・・・
憲法施行72周年にあたって 日本共産党書記局長 小池晃
1、今年の憲法記念日は、安倍首相による改憲策動が、平和、民主主義、基本的人権など現行憲法の原則を守ろうとする国民の世論と真っ向から対決するなかで迎えている。
安倍首相は『自分の任期中の改憲』に固執し続けている。政権・与党、なかんずくその最高責任者が、自らへの制約をとりはらう改憲議論を強引におしすすめることは、それ自体が立憲主義の破壊であり、絶対に許されないことである。しかし、安倍首相が改憲の旗を振れば降るほど、改憲に賛同する国民は減少し、「安倍政権下での改憲反対」は、世論調査でも5割を超えている。安倍政権がすすめる改憲策動に、道理も大義も、国民の支持もないことは明らかである。
いまこそ、安倍政権による9条改憲の策動をきっぱり断念させるときであり、間近に迫った参議院選挙で国民がきびしい審判を下すことを心から呼びかける。
1、安倍政権の『ウソと忖度、隠蔽の政治』は、目を覆うような惨状を呈している。公文書の改ざん、国会での虚偽答弁、自衛隊や厚労省、法務省などの情報隠し・隠蔽、そして、ついには基幹統計のねつ造と廃棄まで明らかになった。『ウソと忖度、隠蔽の政治』が国政の土台を揺るがしている。この根っこには、憲法破壊の安倍政治がある。安倍政権は、『集団的自衛権は認められない』という歴代政権の憲法解釈を一内閣の閣議決定で覆し、特定秘密保護法、安保法制=戦争法、共謀罪と、次々に憲法の原則を否定する違法立法を強行するなど、憲法蹂躙の政治をエスカレートさせてきた。最高規範である憲法を蹂躙してはばからない安倍首相の政治姿勢こそ、深刻なモラルハザードの元凶である。安倍政治を終わらせ、憲法に基づく公平・公正な政治を実現しなければならない。
1、変えるべきは憲法ではなく、憲法をないがしろにし、国民の権利と民主主義を蹂躙する安倍政治である。日本共産党は、政治的立場の違いをこえて、広範な市民・団体が共同でとりくんでいる「安倍9条改憲NO!3000万人署名」を成功させるために、多くのみなさんとともに力をつくす。そして、市民と野党の共闘を力強く前進させて、改憲策動に終止符をうつために全力をあげる。
憲法記念日にあたり、平和と民主主義、個人の尊厳、基本的人権をはじめ、日本国憲法を生かし、憲法が花開く政治を実現するために、いっそう力をつくす決意を表明する。
・・・
皆さんの憲法への思いをお聞かせ下さい。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙に「天皇の『代替わり』テレビ報道 どうみるか」と題する特集記事が掲載されました。
元NHKディレクターの戸崎賢二さんのコメントを紹介します。
戸崎さんは、天皇の地位についての憲法規定を引用し次のように指摘しています。
「『天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく』という憲法の規定は、いわば『与えられたもの』であって、現在の国民が作り上げたものではありません。この規定を実質的なものとするために、天皇の地位がどうあるべきか、私たちひとひとりが考えなければならないでしょう。『総意』を形成する主権者として、これは必要なことです。」
戸崎さんは、ここ数日の天皇代替わりに関するテレビ報道を次のように指摘しています。
「残念ながら、そのような『主権者の意識』を問う報道はテレビではほとんどみられませんでした。天皇制や元号制度に批判的な見解はまったく伝えられず、新しい時代が始める、というメッセージが繰り返され、人びとの期待と喜びの声など、代替わり関連のトピックスが洪水のように放送されのが特徴ではなかったでしょうか。」
戸崎さんは、天皇制について考えるとき、大きな惨禍をもたらした戦争の歴史を忘れてはならないと次のように指摘しています。
「5月1日、即位の儀式で、新天皇が受け継いだもっとも重要なものは剣、勾玉、といった三種の神器です。三種の神器は、これを受け継ぐことが天皇の証しとされる宝物です。昭和天皇は、敗戦が濃厚になった1945年、アメリカ軍の空襲から三種の神器をどう守るかに心を砕いたと言われています。天皇と重臣たちの最大の関心は、降伏後も天皇制を護持できるかどうかであり、三種の神器の無地をはかることでした。一方で戦争終結の決断は遅れ、その間に沖縄地上戦があり、アジア口で日本兵が次々に戦病死していったのです。『剣爾』が何かは伝えられましたが、こうした歴史に目を向けた報道は見当たりませんでした。」
戸崎さんは、最後にこう指摘しています。
「政治の現実への批判精神と、歴史の検証を欠く天皇報道は、天皇『元首化』という復古的な意図に貢献する危うさがあります。主権者である私たちの警戒と自覚が改めて求められます。」
自民党は、「憲法改正草案」で「日本国は長い歴史と固有の文化をもち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」などとし、第一条で「天皇は日本国の元首」としています。
天皇の名で行われ、大きな惨禍をもたらした戦争の歴史の検証を十二分に行うことが今求められます。
そのことは、日本とアジアの未来にとって極めて重要です。そのことを正面から報じるテレビであってほしいと思います。
皆さんは、天皇「代替わり」のテレビ報道をどうお考えですか。