先日、浄土真宗本願寺派山口教区宇部北組門徒総代会が行われ、私は総代会会長に選ばれました。
同時に開かれた宇部北組臨時組会におきまして、教区会議員に推薦されました。
このような時に、五木寛之さんの「はじめての親鸞」を手にし、一気に読了しました。
五木寛之さんは、私が一番多く読んでいる作家さんの一人ではないかと思います。
小説では、「青春の門」「親鸞」
「日本人のこころ」や「百寺巡礼」のシリーズ。
岩波新書の「蓮如」も私の心に沁み込んできます。
この度読んだ「はじめての親鸞」も平易な言葉で親鸞の魅力が深く広く語られた作品だと思います。
私が印象に残った点を紹介します。
金子みすずさんの「大漁」が紹介されています。
山口県に住む私たちにはなじみのある詩です。
「浜は祭りの ようだけど 海の中では 何万の 鰯のとむらい するだろう」
もう一人幕末の頃に活躍した福井の橘曙覧という学者の言葉が紹介されています。
「たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食う時」
五木さんはこの2人の言葉を引用して親鸞の「悪人正機」の意味を解説します。
「親鸞のいう悪人とは、人すべて悪人であるという意味での悪人であり、いい人と悪い人がいるという意味ではない。人間は全部同じ条件を背後にせおって、そして悪人として日々生きているのだ、そのことを自覚せよ、と。」
「私たちは半分金子みすずであり、半分は橘曙覧であるということです。魚を食べておいしいと喜ぶことを生の喜びとして片方では受け入れつつ、片方では海の底では鰯が葬式をしているだろうと考える。その両方の気持ちを併せ持って、生きていかなければならない。非常に難しい、あわいのところで生きている人間という存在を考えざるを得ないのです。」
私の心に沁みる五木さんによる親鸞聖人の「悪人正機」の解説です。
五木さんは、昭和7年生まれの83歳。私の父と同じ世代です。
親鸞は90歳まで生きた人です。
親鸞は80歳を過ぎて沢山の和讃を書いています。
五木寛之さんには今後とも親鸞聖人の教えを分かりやすく私たちに伝えていただきたいと思います。
五木さんには、小説としての作品を今後も期待しています。
五木さんのご講演を直接聞きたいと思います。今後その機会に恵まれますように。
五木さん心に残る作品をありがとうございました。
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