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長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 井上洋子共同代表が活動継続のメッセージを発出しました。

 15日付、しんぶん赤旗日曜版は、長生炭鉱の遺骨収容について次のように報じました。
 「父、祖父に会いたいー。遺族の長年の願いが84年越しにかないました。1942年2月3日、戦時中の石炭増産の国策の下、水没事故が起こった長生炭鉱(山口県宇部市)。その海底坑道から頭蓋骨が6日に収容され、韓国と日本の遺族が初めて遺骨と対面しました。遺骨の収容はは昨年8月に続くもの。遺族にとって今回が初の対面となりました。6日午後3時すぎ、韓国の遺族12人が宇部市床波の海岸に到着するのとほぼ同時に、1人の頭蓋骨が引き揚げられました。日韓の遺族は多くの支援者やマスコミに囲まれながら、長年待ちわびた遺骨に思いをはせました。水没事故の4日後に生まれた常西勝彦さん(84)は朝、父親の墓参りをし『お骨を連れて帰ってくるからな』と誓ったといいます。韓国遺族会の楊玄(ヤン・ヒョン)(78)は、日本が植民地支配した韓国からおじは20歳で犠牲になりました。同氏は『その死に対する悔しさと悲しみの思いが込み上げた』とのべました。1月の日韓首脳会談では、遺骨のDNA鑑定で協力することを合意しました。日本政府が長生炭鉱の問題で関与を表明したのは初めてです。一方、楊会長は日本政府がDNA鑑定に協力するのは『当たり前のこと』で『日本政府が遺骨収集に関与しない限り、この問題は終わらない』と表情を硬くしました。今回の遺骨収容には海外から5人のダイバーが参加。収容をけん引する伊左治佳孝さん(37)によると、あおむけで衣服や手袋、靴をつけ、ほぼ全身の状態で坑道に残されていました。ダイバーらは今回は頭蓋骨を持ち帰るという目的を達成し、遺族に遺骨を届けることができた喜びを語りました。翌7日には追悼集会が開かれました。昨年に続いて韓国政府代表団が参列し、遺骨収容に貢献する日本の市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』に褒賞を授与しました。代読された韓国行政安全部長の追悼のあいさつで▽首脳会談の合意に沿って迅速かつ科学的なDNA鑑定を進める▽より安全で体系的な遺骨発掘のため総合的支援計画を設ける▽すべての海外の強制動員被害者に対し、記憶と責任、礼を尽くすことの責務を果たすーなど事業計画が伝えられました。一方、日本政府は出席はおろか、追悼の言葉すら寄せませんでした。長生炭鉱の遺骨収容に参加していた台湾のダイバー、ウェイ・スーさん(57)が7日、潜水調査中に亡くなりました。長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会は、11日まで予定をしていた調査を注視し、8日に会見を開きました。会見でダイバーの伊左治佳孝さんは、スーさんが使用していた機材の記録などから事故の状況を説明しました。伊左治さんは、スーさんが高酸素による酸素中毒でけいれんを起こし、呼吸具が口から外れて溺れたとの見方を示しました。7日は午前11時半ごろ、3人のダイバーが沖に突き出るピーヤ(排水・排気塔)から順番に潜行し、スーさんは2番目でした。坑道に入る手前でけいれんを起こし、他のダイバーによって救助されましたが、病院搬送後、死亡が確認されました。潜行開始からおよそ10分後には高酸素状態だったとみられます。高酸素状態になった原因は不明です。伊左治さんは『彼は誇りをもって(遺骨収容参加の)その選択をしたと思う』と声をつまらせました。ダイバーは全員がボランティア参加です。5日の会見でスーさんは『(遺骨収容の)この任務は非常に高度な技術と専門的な潜水知識が求められる。私たちのようなダイバーこそ可能な任務だ。私たちは全力で計画を支援したい』と熱意を示しました。『潜るたびに命に関わる危険が伴っていることは、はっきり認識している』とも話しました。刻む会の井上洋子代表(75)は『尊い命が亡くなられたことに、私たちなりの責任の取り方をそうしていくかをまず考えないといけない』と語りました。遺骨の収容と返還については今後、時間をかけて検討したいとしました。」
 2月13日、井上洋子共同代表は、次のようなメッセージを刻む会のホームページに公表しました。
・・・
 台湾ダイバー、ウェイ・スー(ビクター)さん ご遺族の思いと、この間の報告
 
 2月7日の彼の不慮の事故を受け、8日には台湾から奥様と友人の皆様が、9日にはアメリカからご子息が来日され、ご遺体と面会されました。
 そして10日には司法解剖が行われ、海上保管署より解剖報告があり、それによると高酸素状態による溺死(推定)とのことでした。
 11日には、ご遺族の強いご希望により、日本で焼骨を行い静かにお見送りしたとのことで、ご遺族、ダイバーの皆様、『刻む会』の地元メンバー等に加え、ラサール石井議員にもご参列いただき、葬儀を執り行いました。
 葬儀に際し、在日本国大韓民国匿名全権大使・李赫様より供花を賜り、また駐広島大官民国総領事・姜鎬曽様からは供花とご参列をいただきました。
 特に姜鎬曽総領事様には、7日の追悼式にもご参列いただいており、事故発生時には緊急搬送された病院で、ウェイ・スーさんの回復を共に最後まで祈ってくださいました。お心遣いに心より感謝申し上げます。
 ご遺族からは、ビクターさんが生前にこの地を訪れていた理由として、『より多くの方々の力になりたい』という強い思いがあったことが伝えられていました。今回の事故は単発的な事象であり、今後同様の事故が起きないよう、安全確保を徹底したうえで活動を継続してほしいとのご意思が示されています。
 一方で、今回の事故と長生炭鉱の歴史的課題や追悼の場とは切り離して考えてほしいとの明確な希望があり、慰霊碑や追悼ひろば等にビクターさんに関する物品を設置したり、名前を刻んだりすることは控えてほしいとの要望をいただきました。誤解を招くことを避けたいという、ご遺族の強い思いによるものです。
 また、刻む会の活動を継続するためには、今回の件についての事実を正確に伝えることが重要であるとのご意見もいただいています。ご遺族は、故人の遺志を尊重しつつ、活動が安全に、そして適切な形で続けられることを望まれています。
 ご遺族の思い(通訳の方の発言・録音起こし)
 「ビクターさん、生前なぜここに来たかというと、より多くの方々に手伝いしたいというところがあるので・・・こうした事故が起きたんですけれども、こういった単発の事故でもありますし、こういった事故を起こさないように二人目の犠牲者が出ないように、安心・安全保全したうえで、活動できれば、こういった活動はとても有意義なところなので、ぜひ活動を続けていただきたいというところです。慰霊碑のところへは置かないでください。刻まないでください。誤解を招くことはされたくないので。この話は、公開しないと刻む会の活動が進まないので、できるだけ事実を伝えていただければというところです。」
 刻む会としてはの今後の方針について、ご遺族の傷心の中にもかかわらず、私たちの活動をご理解いただき、ありがたいお言葉を頂戴したことに感謝に堪えません。
 長生炭鉱の日韓ご遺族の皆様とも意思疎通を図りながら、この活動がここでとどまることなく歩み続けるよう努めてないります。
 そのうえで、どのような方針がより良いものとなるかについては、少し時間をいただくことになると思います。ここまで支えてくださったすべての皆様に感謝申し上げ、共に進むことを誓います。
 本日13日、福岡空港にてご遺族とご遺骨を無事にお見送りすることができましたことを最後に報告します。
  
  2026年2月13日
   代表理事 井上洋子

追伸:この発進は刻む会として組織的合意がなされたものではなく、代表の任についている井上洋子個人がウェイ・スーさんとご遺族が帰国されたことにあたり発信するものです。
・・・
 私は、刻む会の理事の一人として、井上代表理事のコメントを支持します。
 今後、刻む会の理事として、地元の県議会議員として活動の再開を支え、関係機関との連携促進に力を注ぎたいと思います。
 この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。

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