柳広司著「アンブレイカブル」の「雲雀」と題する章を読んでいます。
これは、小林多喜二について書かれた章です。
作者の柳さんは、4月4日付しんぶん赤旗日曜版のインタビューで多喜二の章について次のように述べています。
「多喜二作品の一つの頂点が『蟹工船』です。生き生きとした文体で描かれた群像劇、しかも、いま読んでおもしろい小説として書き得た。それはどうやってできたのか。多喜二が拓殖銀行で働きながら、なぜこんなすごい小説を書き得たのか。それを調べるため、多喜二が漁師たちに話を聞くため通った函館から小樽まで、実際に列車に乗りに行きました。漁師たちの経験を多喜二が小説に書き、それを読むことで漁師たちが『自分たちはこういう世界に生きていた』と初めて把握する。そして『自分は漁が好きだ。それなのに、なぜ蟹工船は〈地獄〉なんだ』と考え始める。その瞬間を書きたかった」
小林多喜二の作品は、社会の現実をあぶり出すものだったことを作者の柳さんは力強く述べています。
私は、柳さんの「雲雀」から、多喜二作品の本質を改めて知ることが出来ました。
「雲雀」から漁師の萩原の言葉の一部引用します。
「『去年、労農党の山本宣治議員が、警察で拷問が行われているのではないかという噂を国会で取り上げ、ことの真偽を問い糺したんだ。その時、政府を代表して答弁に立った内務次官は(警察の取り調べで拷問など断じてありえない)(明治、大正、昭和を通じて、この聖代において想像するだに戦慄を覚える)と疑惑をきっぱり否定した。たしか、新聞にそんな記事が出ていた』萩原は谷を振り返り、『拷問による取り調べは法律で禁じられている。拷問による取り調べは違法。時の内務次官が国会でそう答弁して、記録にもちゃんと残っているんです』萩原は、谷というよりは自分自身に言い聞かせるように言葉を続けた。『つまり、小林多喜二の(一九二八年三月十五日)は作り話だということです。小説、イコール、フィクション、イコール、虚構というわけですね。だとしたら逆にこれは実に良く出来た小説です。まるで本当にあったことのように書かれている』」
手塚英孝著「小林多喜二」に、1928年3月15日の小樽の様子が次のように書かれています。
「小樽では、まだ雪におおわれていた3月15日の未明から、2カ月にわたって大検挙がおこなわれた。起訴された共産党関係者は13人だったが、500人におよぶ人々がこの間に逮捕、検束、召喚された、とつたえられている。小樽警察と水上署は検挙者であふれ、小樽警察の演舞場も臨時の収容所にあてられた。とくに北海道の労働運動の中心勢力であった小樽合同労働組合への弾圧は徹底をきわめた。検挙された指導的な活動家は、警察でひどい拷問をうけ、意識的な組合員は、ほとんど現場から追放された。4月10日には、小樽合同も、労働農民党、無産青年同盟小樽支部も解散を命じられた。」
国会で、拷問なんてありえないと特高を統括する内務官僚が答弁する最中、小林多喜二は、「一九二八年三月十五日」で警察で拷問を受けた労働者の姿を生々しく描き出したのです。小林多喜二は、小樽の大検挙からわずか、5年後の1933年に特高警察による拷問により命を落とすことになります。
作家の柳さんは、しんぶん赤旗のインタビューでこう述べています。
「権力の側には、治安維持法に基づいているという合法意識があります。自分たちが合法であり正義だと。それはいまの香港やロシア、日本でもそうでしょう。この小説で書いたような状況は、弾圧を正当化する法律と官僚組織があれば、いつでも発生しうることです。特高警察も憲兵も、自分たちの仕事を遂行することで権力によるテロリズムとなり恐怖政治につながりました。ではどうするのか。そこで立ち止まって考えるための、普遍的な問いかけになればと思ってこれを書きました」
安保法制=戦争法が強行されて5年が経過した現在、私たちは歴史の分岐点に立っていると思います。
「アンブレイカブル」で描かれた状況を復活させないために、立ちどまって考えるための貴重な示唆が「アンブレイカブル」に書かれてあることを痛感しています。
柳広司著「アンブレイカブル」を一人でも多くの方にお読みいただきたと思います。
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