今日のNHKラジオ「すっぴん」の「源ちゃんの現代国語」のコーナーでさくらももこさんの「もものかんづめ」が取り上げられていました。
「もものかんづめ」は、先日、本ブログで取り上げたばかりでした。
高橋源一郎さんは、この中から「メルヘン翁」を取り上げていました。
これは、さくらさんのお爺さんが亡くなった時の物語。
「祖父が死んだのは私が高二の時である。祖父は全くろくでもないジジィでった。ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリはするし、母も私も姉も散々な目に遭った。」でこの物語は始まります。
高橋さんは、この物語の「その後の話」に注目します。
さくらさんのエッセーは、「青春と読書」に掲載されました。本にする段階で、それぞれのエッセーの「その後の話」が書き下ろしで巻末に掲載されています。
「メルヘン翁」のこととする「その後の話」は次の言葉で始まっています。
「これが『青春と読書』に掲載された時、『身内のことを、こんなふうに書くなんて、さくらももこはひどい。もう読みたくない』という手紙が、編集部に二、三通届いたそうだ。そうか、もう読みたくないか、それじゃ仕方ないな、というのが私の感想であった。私はこれからもそのような人達の読みたくない物を書く恐れはいくらでもある。遅かれ早かれ受け入れてもらえない日は来たであろう。しかし、私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメする事はあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である。うちの爺さんは私や私の姉や母に対して愛情がなかった事は事実である。だから、当然私達も爺さんに対して何の思い入れもなかった。こういう事は、核家族ではない家庭では意外とよくある事で、私の友人にも母や自分自身が爺さんや婆さんにイジめられた為に嫌っているケースがいくらでもある。」
さくらさんのお爺さんは友蔵といいます。そうですちびまる子ちゃんのお爺さんと同じ名前です。
その辺りをさくらさんはこう書いています。
「私は爺さんの事は好きではなかったが、自分の描いている漫画に出てくる爺さんは好きである。『ちびまる子ちゃん』という漫画はエッセー漫画と言われているが、全てが事実であるわけではない。このことは、私は以前から言っているが、『ちび丸子ちゃん』には『よくいそうな架空の人物』というのが登場したり、自分なりの感想や、事実のデフォルメや、物語としての架空のエピソードも含まれている。それらを思い出のフィルターを通して仕上げているので、実際の体験を含む『物語』となっている。(はずである・・・)。だから『ちびまる子ちゃん』に出てる爺さんが、まる子をかわいがるのは、私の憧れとまる子への想い入れが混じっているのだと思う。」
高橋さんは、「さくらさんは、大家族の中で、毒も学んだ。」「それが昭和の大家族であった。」という趣旨をコメントしました。
今は、毒が抜かれた会話をしているが、深い人間関係は築けていない傾向にあるようです。
私も大家族で育ちました。祖父は私が生まれた時には亡くなっていました。祖母には可愛がってもらいました。
今更、詳しくは書きませんが、酒好きの父は幼少の私には少々毒でした。
しかし、私が、後年議員になった時に、「お父さんから電話をもらいました。」などとの反応が返ってきたときには、感動しました。
父が亡くなって13回忌。今でも「お父さんとこんな思い出がある」などの反応が返ってきたときには、私は、父の七光りをもらっていることを実感します。
現在の我が家は、三世代ではないけれど、子どもが4人で6人家族です。大家族と言えるでしょう。
子ども同士、親子でぶつかりあう事があったけれど、それが、人生の糧になればと思います。
父である私は、子どもたちにとって、少々毒であったかも知れないけれど、子どもたちの反面教師になれたら幸いです。
高橋さんは、さくらさんのエッセーを「向田邦子かさくらももこか。さくらさんは、エッセーの格外の達人」と賞賛していました。私は、そんなに多くのエッセーを読んでいないけれど、さくらさんのエッセーを読んで、先日のブログでも書きましたが、「骨太の力強さ」を感じます。
これからも少しづつさくらさんのエッセーから学んで行きたいと思います。
本ブログが少しでも面白くなるようさくらさんのエッセーを学んで行きたいと思います。
改めてさくらももこさんに対する想いをお聞かせ下さい。
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