議員日誌

米軍が最も恐れた男

 日本共産党の雑誌「月刊学習」12月号の「発掘あの時あの写真」で瀬長亀次郎さんが那覇市長に当選した時の写真が掲載されています。

 「1956年12月25日、米軍全面占領下の沖縄・那覇市長選挙で、沖縄人民党の瀬長亀次郎書記長が当選しました。『命はないぞ』といった脅迫など激しい攻撃をのりこえての勝利でした。米占領軍は、那覇市への銀行資金の凍結、水源ストップによる『水攻め』などで新市長の妨害をはかりました。瀬長市政を支えたのは市民でした。翌年3月に開かれた『市政報告市民集会』には、5万人が参加。瀬長市長は『私の背後には11万市民、80万県民、9千万祖国の同胞の団結があることを確信して勇気をだしてやっています』と訴えました。財政難から市政を守るための自発的な納税運動がおこり、納税率は97%に達しました。納税者の列が役所まで五百メートルも続いたといいます。市民は自らの力で米占領軍を突き崩しはじめました。」

 私は、姪の結婚式で沖縄を訪ねた際、「瀬長亀次郎と民衆資料 不屈館」に立ち寄りました。

 会場に、佐古忠彦監督の映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」のポスターが貼られていました。

 映画の元になったTBS制作の昨年8月に放映された「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?~」を購入し、帰ってきて観ました。

 瀬長市長を支えた市民の団結が、今日の「オール沖縄」の流れにつながっていることを実感しました。

 不屈館では亀次郎さんの次女で館長の内村千尋さんにお会いできました。

不屈館

   不屈館で内村館長にお会いしました。

 不屈館では、瀬長さんが書かれた「不屈」の文字がデザインされた「不屈Tシャツ」を購入し早速、沖縄では着て移動しました。

 日本共産党中央委員会幹部会副委員長で衆議院議員でもあった瀬長亀次郎さん。「不屈館ガイドブック」には瀬長さんのこのような文章が紹介されています。

 「私は非核・非同盟・中立の日本の実現をめざし、平和と社会進歩のため不屈に歩みつづけるつもりである。」

 「不屈館」を訪ね、ドキュメンタリー番組などで、瀬長さんの生き方に触れました。

 瀬長さんの事を想うと笑顔になれます。

 市民とともに歩もうという勇気が湧いてきます。

 「米軍が最も恐れた男」是非、映画館で観たいと思います。

 瀬長亀次郎さんへの想いをお聞かせ下さい。

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