本日、宇部市西岐波の長生炭鉱追悼ひろばで、「長生炭鉱水没事故72周年犠牲者追悼式」が行われました。
1942年2月3日早朝、宇部市西岐波の海岸にあった長生炭鉱で、水没事故が起き、183名もの人々が生きながら、坑道に封じ込められてしまいました。
犠牲者のうち136名は、日本の植民地政策のためい、強制的に連行された朝鮮人の方々でした。
「長生炭鉱の『水非常』を歴史に刻む会」では、毎年追悼式を行うと同時に、慰霊碑と追悼ひろばの整備を進め、慰霊碑とひろばがこのほど完成しました。
今年の追悼式には、韓国在住の遺族18名が参加されました。
長生炭鉱犠牲者遺族会会長のキム フヒョンスさんは、「日本政府が一日も早く私たち犠牲者の遺体を捜し出してくださるよう切にお願い申し上げ」ると挨拶を締めくくりました。
長生炭鉱犠牲者遺族会会長・キム ヒョンスさんの挨拶
遺族の方々は、慰霊碑に向かって、チェサ(祈り)を捧げました。
チェサという韓国の祈りを慰霊碑に捧げる遺族の方々
続いて、私たち参列者が献花を行い追悼式が終わりました。
追悼文の最後にこう書かれています。
「私たちは、このような悲劇を生んだ日本の歴史を反省し、再び多民族を踏みつけにするような暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを誓い、ここに犠牲者の名を刻みます。」
日本の歴史を反省せず、暴虐な権力が出現しようとしている状況が広がる一方で、それを許さない国民の運動が大きく高まっているのが、今の時代の特徴だと思います。
私は、暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを慰霊碑の前で固く誓いました。
長生炭鉱での72年前の悲劇を皆さんはどうお考えですか、感想をお聞かせ下さい。
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