いよいよ今日から、2月県議会が始まりました。二井知事は、議案説明で、議員に配布された資料で26ページ分の量を説明しました。その内、2ページ分が、福祉医療制度の一部負担金の説明でした。二井知事は、一部負担金の導入について、「持続可能な制度として次代へ継承していくために」「中国地方では本県を除く4県で、一部負担金の導入がなされておりますが」と説明しました。もはや山口県の「住みよさ日本一の元気県づくり」は、精神論でしかないことが明らかになりました。
私が呆れたのは、「県の基準は、福祉医療制度の一定の水準を定めているものであり、市町が独自に実施する制度の拡充措置等を妨げるものではありません。」との知事の発言です。これまでに、県内の5市議会が、福祉医療制度の現行制度の維持を要望書や意見書で知事に要望しています。これらの市では、県が制度改悪しても市独自で、現行制度を堅持していこうとの決意に漲るものです。県の制度改悪は、市町が現行制度を堅持しようとした場合に、妨げ(市の財政負担の増大)となることは明らかです。知事は市町の施策を妨げないように配慮する気があるのではあれば、県内の市町が望むように、一部負担金の導入をこれからでも断念すべきです。このことが、一番、市町に喜ばれる県の施策であることは明らかです。
更に、県民は一部負担金の導入に納得していないことが明らかになりました。本日、県身体障害者団体連合会、県精神障害者福祉会連合会、県身体障害者更生援護施設連絡協議会、県手をつなぐ育成会、県肢体不自由児(者)父母の会連合会、県肢体不自由児協会、県母子寡婦福祉連合会が、議長に、「福祉医療費助成事業の継続を求める要望」を行いました。
これらの団体は、一部負担金の導入に反対し、あくまでも福祉医療費助成制度の現行継続を要望されています。日本共産党議員団にも会の代表の方があいさつに来られました。私は、役員の方に全力を尽くすことを誓いました。
第81回アカデミー賞で滝田洋二郎監督の「おくりびと」が外国語映画賞に選ばれました。同賞を日本映画が受賞するのは初めてだそうです。
アメリカのアカデミー賞の前に行われた日本アカデミー賞の最優秀作品賞も「おくりびと」が選ばれました。実は、日本アカデミー賞の優秀作品賞の候補作品を私は全部観ていました。
ちなみに、日本アカデミー賞の優秀作品賞は、「おくりびと」「ザ・マジックアワー」「母べえ」「クライマーズ・ハイ」「容疑者Xの献身」でした。
この作品の中で、私が最優秀作品を選べと言われても「おくりびと」を選んでいたでしょう。
アメリカのアカデミー賞の受賞作品は、近年、巨額をかけた暴力や殺戮を描いた作品が多かったようですが、今年の受賞作品は、人間愛を描いた作品が多かったとNHKラジオでも分析していました。
この傾向に私は賛成です。この点で、第81回アカデミー賞の作品賞を受賞した「スラムドック$ミリオネア」を観たいと思いました。インド・ムンバイのスラム街を舞台にしたダニー・ボイル監督の作品です。
4月に日本での公開が始まるようです。楽しみです。
それに、滝田洋二郎監督作品にも注目していきたいと思います。「壬生義士伝」や「バッテリー」などDVDでじっくり観てみたいですね。
最新作は、「釣りキチ三平」です。そうですあの矢口高雄の大ヒット漫画の実写版を滝田監督が描くのです。子どもたちと是非、観に行きたいと思います。
「おくりびと」は、もう一度、映画館で観たいですね。心に響くいい作品です。このような日本映画が世界で評価されることは本当に嬉しい限りです。
いよいよ2月県議会がはじまります。今朝から、これまで集めた資料を整理したり、一般質問を書くための準備を始めました。
今回の一般質問は、日本共産党県議団のトップバッターで、3月4日の10時から登壇する予定です。
夕方までにようやく書くまでの段どりが終わりました。いよいよ明日の早朝から原稿書きのスタートです。
福祉医療制度の問題では、24日に、福祉団体の皆さん方が、改めて福祉医療制度事業の継続を求める要望を議長に行うとのことです。
また、山口市議会では、予算発表後に、一部負担金なしでこれまでの制度を堅持せよとの要望を二井知事に行っています。
私は、この県民の願いを一般質問の最初に行いたいと思います。
今議会も微力ながら全力を尽くして県民の付託に応えていく所存です。
長男が、「発明クラブ」に通いだして、我が家では、電子工作が流行りです。今日は、お年玉で、電子工作のキットを注文したいというので、インターネットで、宇部市内での取扱店を見つけ出し行ってみました。そこは、新川駅前の老舗店です。店に入ってみると、子ども向けの電子工作キットのコーナーがあり、なんと子どもたちが注文しよとしていた商品がありました。
早速、長男と二男は工作キットを購入して、昼過ぎから熱心に作り出しました。私は、用事で出ていましたが、夕方帰ってみると二人とも見事に完成させていました。
長男が作ったのは、ピンポン玉を空気の力で吸引したり、勢いよく押し出したりする車です。
長男が作った「エアシューター」
次男が作ったのは、太陽光エネルギーで動く舟です。光がソーラーパネルに当たると、自動的にオールが動きます。
二男が作った「ソーラーバイキング」
私は、理科が苦手の方だったのですが、子どもたちは、「発明クラブ」のおかげで理科好きに育っています。
「発明クラブ」に通っているのは、今は、長男だけですが、次男も興味津々のようです。
平成22年4月統合を目指して、厚狭高の北校舎と南校舎の統合が行われようとしています。それに向け今年度から特別教室棟の新築及び部室の解体がおこなれています。
私は厚狭高同窓生ですが、地元に住んでいないものですから、住民の声を十分聞くこともないまま、状況をただ見守るだけでした。
しかし、地元の党支部が北公舎と南公舎の統合の話を住民にしてみると、「知らなかった。」「駅から東に伸びる商店街がすたれるのが心配。」「南校舎の歴史の灯を消さないで。」など意見が相次ぎました。
ついに、山陽小野田市議会でもこの問題が話題になろうとしています。
厚狭高は、特異な歴史を持っています。南校舎の歴史は、明治6年にまで遡ります。毛利氏の末裔である毛利勅子さんが、船木に「船木女児小学」を興したのが厚狭高の南校舎の始まりです。明治41年に、現在の南校舎の場所に、改組された「県立徳基高等女学校」が移転され設置されました。大正12年には、更に改組され、県立厚狭高等女学校となりました。ですから南校舎は、136年を数える歴史があるのです。統合前に南校舎で学んだ卒業生は、4354人に及びます。
ちなみに北校舎は、昭和16年に県立厚狭中学校が創立してからの歴史です。そして、昭和24年に、南校舎と北校舎が統合して県立厚狭高になりました。
地元住民の方々が、「南校舎の歴史を守ってほしい。」と言われるのも頷けます。
今日、私は、山田山陽小野田市議と下瀬元山陽町議とともに、北校舎で建設中の特別教室棟の建設現場を見学に行きました。
現場は、下の写真のように幸い更地の状況でした。
私は、現地に立って以下の対応が緊急に必要だと思いました。
1、県教委は、長門地域で行ったような、地域住民を対象にした「意見を聴く会」を厚狭地区でも開催すべきではないか。
2、地元住民の合意が出来るまで、当面、北校舎への特別教室棟の建設工事は、延期するべきではないか。
県教委は、地元住民の方々の意見や山陽小野田市議会の意見を十二分に聞いて、厚狭高の北校舎と南校舎の統合を再検討すべきだと、私は、今日現地に立って感じました。
左の建物が武道場、右が教室棟。その間の部室が
解体されて、その後に、特別教室棟が建設されようと
しています。現在は、更地の状況でした。
先程、次男を空手教室に連れていきましたら、師範から、「藤本さん昇級試験を受けませんか。」と言われました。現在、私は、3級の緑帯の1本線です。選挙もあり、この2年位昇級試験は受けていません。
今年に入って最近少し練習に続けて参加できましたが、今日から、議会の準備もあり、私は休み、息子だけを送って行ったのでした。昇級試験は、4月5日の日曜日。議会が終わってから参加したら残り1ヶ月弱になります。
今でも昇級試験を受けようかどうか悩んでいます。と言うのは、型を覚えることと合わせて茶帯の試験から5人組手になるからです。
それでも、空手を続ける以上、避けてばかりもおられません。仕事は、いつでも忙しい訳ですから、思いきって試験を受けてみようかとも思っています。
茶帯への道が成就しますやら。今後のブログに注目下さい。