すっかり星野道夫さんに魅せられて、星野さんの「旅をする木」を読んでいます。
先週のNHKラジオ「すっぴん」の高橋源一郎さんの「源ちゃんの現代国語」のコーナーで「旅をする木」が取り上げられました。
高橋さんが自ら朗読したのが「ルース氷河」の章です。
原文を読んで改めてこの文章を意味を感じることが出来ました。
「ルース氷河」は、学生時代の仲間と共に、小学生から高校生までの11人の子どもをつれてルース氷河にやって来た時の話しです。
ルース氷河は、アラスカ山脈何面に延びる「ルース氷河源流」のことです。
星野さんは、夜のルース氷河を次のように紹介しています。
「最後まで残照を浴びていたマッキンレー山も、今は黒いシルエットとなり、ぐるりと取り巻く高山の連なりの中に沈んでいる。自然が作りあげた、雪と氷と壮大な円形劇場・・・月光が岩壁から垂れ下がる氷を青く浮かび上がらせて、プラネタリウムのような星空は、ここからそのまま飛び発ってゆけるような近さで迫っている。」
「進学校に通うT」「ガキ大将のK」様々なタイプの小中学生がルース氷河で夜空を見上げます。
この情景を見ながら、星野さんは、こう書いています。
「ルース氷河は、岩、氷、雪、星だけの、無機質な高山の世界である。あらゆる情報の海の中で暮らす日本の子どもたちにとって、それは全く逆の世界。しかし何もないかわりに、そこにはシーンとした宇宙の気配があった。氷河の上ですごす夜の静けさ、風の冷たさ、星の輝き・・・情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間の何かを想像する機会を与えてくれるからだ。」
我が家でもふと見ると、子どもたちも妻もスマホの画面を見ている時間が子どもの成長とともに長くなってきたように思います。
私の子どもの頃は、テレビを囲んではいたが、もう少し家族同士が話をしていたように思います。
この文章が書かれたのは1993年の頃、今から25年前です。
この頃よりも、日本の今は「情報の海の中」の激しさを増しています。
だからこそ「情報が少ない」場所に身を置く時間を増やし、「何かを想像する機会」を増やす必要があるように感じます。
その事は、未来を担う子どもたちもそうであるし、私たち大人も同じだと思います。
星野さんは、この文章をこう結びます。
「子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつしか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。」
私は、荒滝山の麓で生まれ、秋吉台の近くで育ちました。
今でも荒滝山の山影を見ると心が穏やかになります。
また、大学生の頃、帰省する度に、秋吉台の草原の中から石灰岩がちらほら見える風景を眺めていました。
今でも、秋吉台を通る度に、10代後半から20代の頃の自分の気持ちを思い起こします。
誰にも心の風景があるのだと思います。
「宇宙の気配」を感じる体験はいくつになっても必要だとこの文章を読んで星野さんに教えられました。
ほぼ日手帳に、星野道夫さんの写真を表紙にしたものがあることを知りました。
今日、手元に届き、今日からこの手帳とともに毎日を過ごします。
写真は、「グリズリーの親子」です。
アラスカの緑豊かな草原に、グリズリー(ハイイログマ)の親子が同じ方向を向いて立っています。
口に草をくわえた子熊が、親熊の背中に、両前脚をちょこんとのせています。
星野さんの写真から「宇宙の気配」を少しづつ感じていきたいと思います。
皆さんの「心の風景」は何処ですか。お教え下さい。