今朝のしんぶん赤旗日刊紙の「潮流」は、長生炭鉱の問題を取り上げました。
「石炭を掘り出す場所はとても狭く、低い天井から落ちた石で死亡した人もいた。海底の坑道は水漏れがして空気が悪くコレラが流行した。一番危険な一番深い所に朝鮮人を優先的に行かせた▼戦時中、山口県宇部市の長生炭鉱に連れてこられた朝鮮人労働者の証言です。83年前、ここで坑道が水没する『水非常』が発生。183人が取り残され、うち136人が朝鮮半島出身者でした▼戦争の真っただ中で救出は行われず、坑口は事故直後にふさがれ、場所さえ忘れられてきました。しかし、市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』が中心となって、追悼碑の建立や遺骨の収集活動に立ち上がりました▼寄付を募って昨年は坑口を掘り起こし、潜水調査を継続。そして、今月25、26の両日に大腿骨や頭蓋骨とみられるものを見つけました。当初からかかわってきた水中探検家の伊佐治佳孝さんは『次のフェーズに入っていける』と▼現実的な困難として遺骨発掘を拒んできた日本政府に突き付けた歴史的な発見。本来ならば国がやるべきことなのに協力さえしない無責任な態度に、刻む会の井上洋子・共同代表は『誠意のかけらも持っていない』と非難します▼折しも韓国の季在明大統領が来日。志位議長は『被害者の名誉と尊厳の回復が何よりも大切で、そのために日本政府は誠意ある対応を行うことが重要』だと。日本の戦争政策のために動員され、いまだ冷たい海に沈む犠牲者、遺族の無念。それを放置したままで明るい未来は築けません。」
私は、民青新聞に長生炭鉱の歴史と今の取組をまとめた記事の依頼を受け、今、日韓の歴史や事故当時の生存者の証言などを読んでいます。
長生炭鉱で働いていた経験のある金景鳳(キム・ギョンボン)さんの証言です。
「1941年、私が18歳の時に日本の巡査が突然、家(慶尚北道迎日郡(現在の韓国浦項市))にやってきて連行されました。オモニ(母)は巡査の足を引っ張り、ダメだ、ダメだって泣いて引き留めたのですが、巡査は私を引っ張って連れ出しました。(中略)(長生炭鉱の)寮は一人部屋に30人も容れられて、真ん中が通路でした。みんな通路側に足を向けて寝ました。寒い時は、二人で二人分の毛布を一緒にかけて寝ました。苦しい炭鉱の生活を抜け出すために三人で逃げました。しかし、長生海岸の砂浜で道に迷っているところを捕まりました。二人は30歳以上だったためか、殴られ殺されました。18歳の私は木の棒でしこたま殴られましたが、命は助かりました。しかし、今もその時の傷跡が頭の部分にあります。」
金さんの証言で、強制連行・強制労働があった事実が分かります。また、炭鉱事故ではなく、逃走などを行った労働者が殺されるなどの事実があったことが分かります。戦前の炭鉱では、坑内での事故だけではなく、多くの労働者が殺された事実があることを知りました。
先輩の党員の方から吉岡吉典著「『韓国併合』100年と日本」をお借りして読み始めました。
日韓の歴史を知るためには、「韓国併合」について知る必要があることを学びました。
この本には、「韓国併合」条約が、日本のどのような侵略的経過によって締結されたかが書かれています。
1965年6月22日に日本と韓国が国交を正常化する日韓基本条約に署名して60年の年です。
日韓基本条約には、1910年の「韓国併合条約」を「もはや無効」とするだけで、日本による植民地支配への反省や賠償に触れていないなどの問題点が当初から指摘されていました。
日本政府は、これまでの姿勢を根底から改め、長生炭鉱水没事故の犠牲者を始め、全ての犠牲者の名誉と尊厳が回復されるよう政府の責任を果たすことが求められます。
日韓の歴史を学びながら、長生炭鉱の遺骨が朝鮮半島の遺族の方々に早期に返還されるよう、刻む会の運営委員として、県議会会議員として大いに発言を強めていきたいと思います。
長生炭鉱水没事故犠牲者のものと思われる人骨と思われる遺骨が回収されました。
この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
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