戦後80年、被爆80年の夏を迎えました。山口民報は、「戦後80年被爆80年いま私が思うこと」のシリーズで、今年4月13日、生後8か月、広島で被爆した宇部市東吉部の森本敏子さんのインタビューを次のように報じました。
「原爆のこと、今まで人様の前で話したことはないんですよ。この度、藤本さん(藤本一規県議)を通じてインタビューのお話をいただき、記憶をたどってメモしてみました。80年前、私たちは広島市東観音町にすんでいました。父母と私。8月15日午前8時15分、原爆が落ちた時、私は生後8か月でした。原爆について母はほとんど何も言いませんでしたが、私が小学校5年生の時、一度だけ詳しく話してくれたんです。-原爆投下時、母は台所で後片付け中。泣き止まない私は布団のなか。何が起こったか全くわかりませんでしたが、あっという間に家が崩れ、運よく母は水屋と柱の隙間で助かった。母は泣きわめく私を柱と柱の間から必死で布団ごと引っ張り出したそうです。私が今あるのは母のおかげです。広島の東観音町は爆心から2キロです。母はすぐ私を背負って4日間昼も夜も歩きづめで宮島の収容所に辿り着き、被爆時は宇品の工場で無事だった父と再会したそうです。私は昭和44年(1969年)、被爆者手帳をもらっていますが、初めに申しましたように、被爆体験を語ったことはほとんどありません。広島から親戚を頼って宇部に帰ってきましたが、その叔母がやはり広島の被爆者でした。旅館をやっていたので色んな方と出会いがあり、当然、被爆の人もおられたと思います。私もそのおばの誘いで、毎年9月6日に山口市宮野で開かれる被爆者慰霊祭に参加するようになりました。かれこれ30年になります。最初の頃は宇部から貸切りバスを出し一杯でした。一人亡くなり二人行けなくなるなどで、昨年はたった6人。もうすぐ被爆者は一人もいなくなってしまいます。物心ついて本当に辛かったのは食べ物で、いつも空腹。一家は宇部から吉部の農村に移っていましたので、子どもの私は田の土手のスイバを採ったり、山に入ってシイの実を拾って食べました。下の弟、妹がいましたので、学校から帰っても遊ぶ暇などなく、家事や食事の世話と動きまわりました。宇部の製材所からチップを大竹の製紙工場まで運ぶトラックに乗り、夜の道を走りました。父自身の眠気防止と、家事で大変な私の『気晴し』の気遣いだったのかも知れませんね。道路脇の電柱にぶつかりそうなこともありましたから。おかげで、あちらこちらで出かけるのが苦ではなくなり、今も身体を動かすこと・働くことが大好き。毎朝4時半起床で10軒の牛乳配達を続け、一日中、小さな店の切り盛りをしているんですよ。一昨年までは地産地消で、地元のお豆腐屋さんのおいしい豆腐を30年も配りました。残念なことに店を閉められましたが。夫は私が38歳の時、飲酒運転の車が我家に突っ込んで来て、店の前にいて亡くなりました。46歳の働き盛り。とても優しい人でした。子どもが二人遺されましたが、それぞれ元気に育ってくれ、本当に幸せです。毎日元気でいられるのは近所のみなさんのおかげです。11年前から社会福祉協議会のクラブとして『さくらの会』を発足させ、今も毎日オープンして、誰でも来た時に寄れるようにしています。お世話係をさせていただいていますが、『さくらの会』は、いつもみんなの笑顔と笑い声が一杯で、元気の源です。そこで原爆の話ですかー聞かれたら話しますが、正直言ってみなさん余りピンとこないようですね、良い悪いではなくて・・・。戦後80年たって、この頃、無性に父母が大変な人生を過ごして来たんだなと改めて考えるようになりました。それだけに、今、心の底から思うのは、原爆はもちろんですが、どんなことがあっても戦争は絶対にダメだということですね。戦争は人々が苦しむだけです。何一ついいことはありません。家族も家もみんな失くします。人間が悲しむことばかりーそれが戦争です。私はこの年になり、切実にそう思います。」
私は、県議になってから、可能な限り9月に行われる山口市宮野での被爆者慰霊祭に参加しています。数年前、会場で、笑顔で私の顔を見て挨拶される森本さんにお会いしました。そして、次に自宅でお会いした際、森本さんから被爆の経過をお聞きしました。そして、山口民報の戦後80年被爆80年のインタビューを受けてくださる方を紹介してしてほしいと山本編集長に頼まれ、先日、山本編集長と私も同席し、記事となったインタビューを森本さんに行うことができました。
核保有が安上がりだと参議院選挙に参政党の候補が発言しました。
被爆80年の今も「核抑止」の考えが世界を席巻しています。
先日、本ブログで紹介しましたが、日米机上合同軍事演習で、自衛隊の幹部が米軍の幹部に、中国を核で威嚇すべきだと迫ったという報道がありました。
一方で、核の威嚇は条約違反とする核兵器禁止条約が発効している希望が世界にはあります。
生後8か月で被爆した森本さんの「原爆はもちろんですが、どんなことがあっても戦争は絶対にダメ」というメッセージを私は、被爆80年の今年、一人でも多くの皆さんにお伝えしたいと思います。
ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、皆さんの想いをお聞かせください。
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