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細田昌志著「力道山未亡人」を読みました。

 8月11日付、中国新聞は、書評で細田昌志著「力道山未亡人」を取り上げました。解説は、プロレス評論家の小佐野景浩さんです。
 「今年はプロレスがNHKと日本テレビの2局で初めてテレビ放映されて70年、力道山生誕100年(さまざまな説があるが本書によると1924年生まれ)に当たる。今や力道山と接したことがある人間はほとんどいない。力道山門下生の選手は、82歳になった今も現役のグレート小鹿だけになってしまった。そうした中で、日本航空の客室乗務員から21歳で妻になった敬子氏が語る、夫として、プロレスラーとしての力道山の姿は貴重である。結婚からわずか半年後に『未亡人』となり、日本プロレスなど5つの会社を引き継いで約8億円の借金を背負った人生は実にドラマチックだ。だが、本書は敬子氏の半生を描くだけでなく、日本のプロレス史の表と裏をたどりながら激動の昭和史の実像にも迫っている。プロレスという未知のスポーツエンターテイメントを戦後復興のシンボルに仕立て上げた力道山。ビジネスマンの才覚を発揮する一方、政財界や裏社会との関係も深かった。たてえば、当時の自民党副総裁の大野伴睦は日本プロレスコミッショナーとして、興行を担う各地のやくざににらみを利かせた。プロレスと裏社会のつながりは避けて通れない歴史なのだ。プロレスの話題で注目したのは、力道山はなぜアントニオ猪木を付き人として手元に置き、ジャイアント馬場を早くから売り出したのかという点。『エリート』の馬場に対し、『雑草』とされる猪木だが、力道山は猪木を寵愛し、スターに育て上げようとしていたのだ。75年12月の『力道山十三回忌追善大試合』に際し、力道山が猪木を破門した件についてはさまざまな見解があるが、著者の丹念な取材に基づく推察も興味深い。その25年後、引退していた猪木は、敬子氏に力道山の追悼イベントへの出場を依頼される。戦いたい相手を問われ、ある女優の名前を挙げたエピソードは心が和んだ。」
 私は、この夏の出張中に、「力道山未亡人」を一気に読みました。結婚後わずか半年で未亡人となり、約8億円の借金を背負った百田敬子さんは、22歳でした。波乱の人生を見事に本書は描きだしています。
 プロレスの草創期に、自民党の大物政治家が深く関与していたことも興味深く読みました。
 力道山の関連本として、私が今まで読んだ本の中でNO1は、増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」です。
 「力道山未亡人」と「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で、力道山像とプロレス草創期を学びました。

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