盆間、少し休みが取れたので書店に行って、帚木蓬生さんの「白い夏の墓標」を購入して読んでいます。
本の帯に「1983年に出版された本ですが、名作といわれるものは絶対に色褪せることはありません。」の言葉と、帚木さんの本ははずれがない過去の経験でこの本を読んでいます。
文庫の裏表紙から本小説のアウトラインを共有します。
「パリで開かれた肝炎ウィルス国際会議に出席した佐伯教授は、アメリカ陸軍微生物研究所のベルナールと名乗る見知らぬ老紳士の訪問を受けた。かつて仙台で机を並べ、その後アメリカ留学中に事故死した親友黒田が、実は、フランスで自殺したと告げられたのだ。細菌学者の死の謎は、真夏のパリから残雪のピレネーへ、そして二十数年前の仙台へと遡る。医学と人間の闇を問い続ける著者の原点。」
翻訳家の高見浩さんは、文庫の解説で次のように書いています。
「特筆すべきは、一種預言的とも言える本書のテーマの今日性である。ミステリーには、そのテーマの陳腐さゆえにしだいに埋もれていく作品と、逆に、そのテーマの深切さゆえにしだいに光彩を増してゆく作品があるとすれば、本書『白い夏の墓標』はまちがいなく後者の典型的な例である。」
アメリカの細菌兵器開発に手を染めることになる黒田は、「白い夏の墓標」の中での手記で次のように書いています。
「ウィルスもバクテリアも、それ自体は、ニュートラルな興味の対象でしかない。山と同様、究めつくすことに快感がある存在だろう。まっとうな科学も、逆立ちした科学も、それは同じことだ。/それでは研究者を、逆立ちした化学に向かう者と、まっとうな化学を目指す者に振り替えるものは一体何なのか。実は、何もない。未知のものを究めること自体が快感としてひとり歩きしはじめると、まっとうな科学も、いつのまにか逆立ちしてしまう。/ぼくたちがやっていることは確かに、逆立ちした科学だ。だが、もっと恐ろしいのは、まっとうだと思いこみ、また人からもそう信じられ、その実、逆立ちしている科学ではないのか。」
高見さんは、文庫の解説で、この黒田の手記を引用した後でこう書いています。
「黒田の抱くに至ったこの認識は、単に細菌学のみならず、電子工学、原子物理学等、現代の最先端をいくすべての科学に当てはまる真実を内包している。」
元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんは、「原発事故は終わっていない」の中で、核のゴミについて次のように書いています。
「未来の、たとえば100年後の子どもたちは、私たちがこの瞬間に行う選択に関していっさい文句が言えません。私たちが原子力発電を利用するという愚かな選択をした結果、彼らは原発から何の恩恵も受けず、始末に困る危険なごみだけを残されてしまいます。そうした事態を生み出した原子力というものは最低だと私は思います。だから私は、日本での原子力の暴走を許し、子どもたちに処分できない危険なゴミを残す自分が許せないのです。私はかつて原子力というものに夢をもって、原子力をやりたいと研究の道に進んでしまった人間です。私の人生で最大の誤りでした。その愚かな選択をした自分に対しては、私自身が落とし前をつける以外にありません。その責任を果たすためにも、原子力を廃絶させようと思います。」
小出さんの専門は、原子核工学です。京大で助教まで務めた小出さんが、「原子力廃絶」を訴えています。私は、小出さんは、「白い夏の墓標」の中で、黒田が手記に書いている「まっとうな科学者」だと思います。
核燃料サイクルの破綻から目を逸らし、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の調査を進めようとする電力会社、それに協力する政府や上関町などは、原子力発電を「まっとうだと思い込み、その実、逆立ちした科学」に立脚した人たちだと私は思います。
子どもたちに処分できない危険なゴミを残すことを正当化することは、「逆立ちした科学」に立脚するものであるということを一人でも多くの県民の方に理解していただきたいと思います。
上関町が中間貯蔵施設の調査を受け入れたことを受けて、県内で新たなたたかいが始まりました。
その私を勇気づける本が、帚木蓬生さんの「白い夏の墓標」であり、小出裕章さんの「原発事故は終わっていない」でした。
これらの本に勇気づけられつつ、9月県議会へ向けて、中間貯蔵施設の問題を始め、様々な県政課題について、しっかり学んでいきたいと思います。
中間貯蔵施設の問題などに対する皆さんのご意見をお聞かせください。
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