議員日誌

夏目漱石「三四郎」読書ノート①

 NHKラジオ第二「朗読」の聞き逃しサービスで、夏目漱石「三四郎」を聴いています。
 「三四郎」は、夏目漱石が東京大学の教職の仕事を辞めて、朝日新聞の記者として、職業作家になってから二年目の作品です。
 「三四郎」が熊本から大学に入学するために、東京に出てきて、最初に広田先生に会った時、広田先生は、このように言います。
 「『あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々が拵へたものじゃない』と云って又にやにやわらっている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃない気がする。『然しこれからは日本も段々発展するでしょう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、『亡びるね』と云った。」
 新潮文庫「文豪ナビ・夏目漱石」の「評伝 夏目漱石」は、「新訳 更級日記」の著者である島内景二さんが書いておられます。
 島内さんは、「三四郎」の中で、広田先生が、三四郎に「亡びるね」と言ったシーンを次のように書いています。
 「漱石は、もともと英文学者だったので学究肌だが、ジャーナリスティックな問題提起力にも優れていた。急ピッチで発展途上にあった日本を、『亡びるね』と言ってのけた『三四郎』の広田先生の言葉は、漱石の評論家的要素をよく示している。講演も、すぐれていた。『現代日本の開花』など、今でも通用するほど現代的であり、かつアジテーショナルだ。漱石に心酔する愛読者が絶えないのは、彼の作品が百年も前に『日本文化と日本人の致命的欠陥』を鋭く言い当てていたからだろう。その欠陥は、百年後の今でも、まだ改まっていない。巨視的な文明批判の魅力。すなわち、評論を内在した小説のおもしろさ。それが、漱石文学の魅力の一つだ。」
 集英社新書「漱石のことば」で著者の姜尚中さんは、広田先生が「亡びるね」と云ったシーンについてこう書いています。
 「当時の日本は欧米列強に追いつき追い越せで近代化への道を突っ走っていました。が、漱石はそのありようを疑問の目で眺めていました。広田先生は漱石の分身的な人物であり、つまり、彼は漱石の気持ちを代わりに語っています。」
 その上で、姜さんは、漱石について次のように書いています。
 「私が漱石を愛するのは、彼が隠遁的な態度にならず、懐旧にも向かわず、あくまでも目の前の現実を見つめ、そこで苦悩する人たちを描いたからです。なおかつ、その中で人間がいかによく生きるかを考え続けたからです。上滑りに滑りながらも、ギリギリの抵抗をして前を向く。その姿勢を私は尊敬するのです。」
 6月7日のしんぶん赤旗日曜版に、芥川賞作家の中村文則さんによる、最新作である「逃亡者」についてのインタビュー記事が掲載されています。
 中村さんは、今の時代をこう述べています。
 「この大変なコロナ時代を安倍政権で迎えるのは恐怖であり悲劇です。安倍政治であるがゆえに、国難は倍増するでしょう。僕は大変に憂鬱です。この本でも書いたように、『公正世界仮説』という心理学用語があります。自分たちが生きる社会が間違っていると思うと怖いので、大丈夫だと思いたい。だから、社会のせいで被害を受けた個人をみると、社会ではなく個人のせいにする。社会の問題を個人に還元する習性のことで、自己責任論にもつながります。安倍政権が国民に求めているのはこの発想だとも感じる。コロナ時代に安倍政権。これは最悪の組み合わせです。」
 富国強兵が跋扈する日露戦争の時代に、「亡びる」と配役に言わせた夏目漱石の「ギリギリの抵抗」に、今、注目したいと思います。
 自己責任論が跋扈する今の時代に、時の政権にはっきり自分の意見を述べる芥川賞作家の中村文則さんに、現代の漱石を見るようでした。
 引き続き、夏目漱石から、しっかり学んでいきたいと思います。中村文則さんの「逃亡者」にも注目していきたいと思いました。
 皆さん、夏目漱石のどの作品がお好きですが、ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。
 

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