議員日誌

「お念仏とともに 父・東昇を想う」読書ノート

 私が責任役員を務めている吉部・常光寺の報恩講での法話で、ご講師の方は、藤井雅子著「お念仏とともに 父・東昇を想う」を取り上げておられました。

 午後から中座することを詫びながら、ご講師の先生から出版社などお聞きし、先日、注文していた本が届き、数日前から読んでいます。

 ご講師は、ある場所で、歌手のちひろさんの歌を聞いた後、「祖父の事を母が書いた本です」と渡されたといいます。

 実は、ちひろさんのお父様と面識がある私は、身近に感じ、この本に興味を抱きました。

 東昇さんは、鹿児島県に生まれ、京都大学医学部で学びます。

 熱心な真宗門徒だった母の影響があり、「京都学生親鸞会」で学びます。

 東さんは、大学卒業後、国産第一号の電子顕微鏡を制作し、後に「日本電子顕微鏡学会会長」などを歴任します。

 東さんは、日本を代表する科学者であり、親鸞の教えを貫いた方でした。

 東さんは、自然と自然科学、科学技術の使われ方について自著「心 ゆたかに生きる」の中で次のように書いています。

 「人間は到底、自然の上に立つことはできない。自然、そして自然界の生きとし生けるもの一切は、人間だけが生きるためにあると思い上がってはなるまい。これは忘れてはいけないんではなかろうか。自然は徹底的に征服されるべきものではない。征服せんとすれば必ず逆襲される。人類みんなが力を合わせて、自然とともに生きる方向を選択すべきではないか。人類は、今日、自然の持つ深い意味を、もう一度、考える、自然を見直すところへ来ています。自然科学の本質は、指摘渇望であって尊徳を離れています。自然現象に対し畏敬、敬虔の感情をもつところに、科学の本質があることを忘れてはいけないと思います。ところが今日科学技術の個人的、社会的、国家的な使われ方は、実に複雑多岐であります。『科学と政治』だけを簡単に見ますと、政治のエキスはいま述べた科学の本質とは逆に、最大多数の最大幸福を実現するために、損得勘定入っています。アメリカで原爆製造のころのこと、マンハッタン計画の際、一人の物理学者が言いました。『あなた方の良心の呵責で私を煩わせないで。なんといってもこれは、光栄ある物理学なのである』と。科学者は一般に『科学と社会の関係』について訓練されていません。科学者は、専門外のことには口を出すべきではないと教えられてきました。科学研究で気になりますことは、明晰な哲学の欠如です。哲学なき科学技術の独走です。科学者は広い視点をもって、人間の問題まで含めて、ものを考えることが大切ではないか。」

 東さんは、「歎異抄」第5条「一切の有情はみなもって世々生々の父母・兄弟なり」を取り上げ次のように語っています。

 「すべてのいのちは、生まれ変わりゆく中で、父とも母ともなり、兄弟ともなってつながっている。身内だけが救われたらいいというのではない。人間だけが救われたらいいというのではない。全てのいのちが救われなければならない。万物同根、神羅万象なりとされたように、これらの高次の智慧に目を開くことこそ、現代人に求められているものではないでしょうか。」

 私は、政治に関わっています。科学者を政治家と置き換えることができます。

 「政治家は、広い視点をもって、人間の問題まで含めて、ものを考えることが大切ではないか。」

 それに留まらず、「人間だけが救われたらいいというのではない。全てのいのちが救われなければならない。」との哲学を持って現実の問題に対処していくことの大切さを東さんの言葉から知ることが出来ました。

 来年の県議会議員選挙にあたり、浄土真宗本願寺派山口教区教務所長推薦を得た私です。

 更に「歎異抄」など、東さんの著作などから学び、政治家として成長していきたいと感じました。

 大切な本に出合うことが出来ました。これも報恩講に参加した恩なのかも知れません。

 東昇さんについて皆さんの思いをお聞かせ下さい。

 

 

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