議員日誌

金子みすゞいのち見つめる旅

 上山大峻さんの「金子みすゞがうたう心のふるさと」を読んで、改めて、郷土の童謡詩人・金子みすゞの偉大さに感服しているところです。

 最近、中川真昭さんの「金子みすゞいのち見つめる旅」を読み、金子みすゞの人生に感服しました。

 中川さんは、朝日放送に勤務しながら児童文学の創作活動を続けられた方です。

 現在は、奈良県橿原市・浄念寺の住職をされています。

 この本を読んで、みすゞさんと正祐さんとの関係に想いを馳せることが出来ました。

 正祐さんは、みすゞさんの弟です。正祐さんが一歳の時、みすゞさんのお母さんのミチさんの妹フジさん夫妻の養子として入籍しました。

 みすゞさんが16歳の時、お母さんのミチさんは、妹フジさんが病死した後、フジさんの夫、松蔵さんと再婚します。

 みすゞさんと正祐さんは、姉弟であることはふせられ、二人は従姉だと言い聞かせていました。

 みすゞさんは、宮本啓喜さんと結婚することになる訳ですが、その理由について、中川さんはこう書いています。

 「みすゞさんを自分の本当の姉と知らない正祐さんが、はた目にもそれとわかるような、淡い恋心をみすゞさんに抱きはじめたことでした。」

 正祐さんは、「宮本さんとの結婚には、絶対反対だ。振り回されるな」と手紙を書きます。

 みすゞさん23歳の時、宮本啓喜さんと結婚します。

 そして、みすゞさんの子ども=ふさえさんが産まれます。

 童謡を書くことをご主人から禁止されたみすゞさんは、3冊の手帳に「美しい町」「空のかあさま」「さみしい王女」と題して、作品を整理します。この3冊は二組作られます。一組は、師である西条八十さんへ、もう一冊は正祐さんへ。

 正祐さんは、みすゞさんの詩作3冊を大切に守り続け、矢崎節夫さんの目にとまり、みすゞさんの作品が発表されるに至ったのです。

 みすゞさんと正祐さんの関係性に涙が止まりませんでした。

 中川さんは、最後に「金子みすゞさんは、生涯、仙崎と下関を出ることはありませんでした。そこで生きとし生けるもののいのちを思い、そのいのちはすべて一繋がりであることを見つめ、生かされてある自分をみつめ、地球という大きな織物のタテ糸の一本にしかすぎない人間の、驕り、たかぶりにこころをいため、そして、どうしようもない人間の根源に自分の姿を重ね、そのなかで、哀しくも短い一つのいのちを終えていったのです。」と書いています。

 みすゞさんの有名な「大漁」などを想い浮かべながら、この文章を読むと、みすゞさんの詩の世界が見事に解釈されていることが分かります。

 みすゞさんと正祐さんとの関係性を詳しく論じたのが松本侑子著「みすゞと雅輔」です。

 雅輔とは、正祐さんのことです。

 正祐さんは、雑誌「映画時代」に昭和4年(1929年)から上山雅輔のペンネームで文章を書くことになりました。

 「みすゞと雅輔」は、正祐さんの「日記」が2014年に発見されたことなどを受けて丹念に書かれた作品です。

 今、「みすゞと雅輔」を読んでいます。

 大正から昭和の激動の時代を駆け抜けた、詩人と文筆家の揺れ動く心と作品をしっかり読んでいきたいと思います。

 みすゞ関連の本を読めば読むほど、「みすゞの世界」に陶酔していきます。

 「人間の驕り、たかぶりに心をいため」たみすゞの作品と関連の本をこれからも読み続けていきたいと思います。

 金子みすゞについて皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

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