年末年始、WOWOW開局25周年記念連続ドラマ「沈まぬ太陽」を見終えました。
DVDで10巻、全20話の大作でした。
主人公の恩地を演じた上川隆也さんを始め、日本を代表する俳優さんがフルキャストで出演されていました。
このドラマは、2016年9月度月間賞=ギャラクシー賞と東京ドラマフォード2016作品賞連続ドラマ部門優秀賞を受賞しました。
歴史に残る秀作のドラマだと感じました。
2009年に公開された若松節朗監督の映画「沈まぬ太陽」が劇場で観て感動しましたが、ドラマは、山崎豊子さんの長編小説を詳細に再現しており、この点においても歴史に残るドラマだったと思います。
第20話で、恩地が再びナイロビに旅立つ直前に、未曾有の航空機事故が起こった御巣鷹山に慰霊登山をする場面があります。
恩地は御巣鷹山で、山守をしている社員の仲間たちと遭遇します。恩地は、仲間たちに「ナイロビから帰ってきたら私も山守の仲間に入れてほしい」と願い出ます。この下りで、私は、20話積み重なっていた想いが爆発し、感涙ひとしおでした。
恩地を支えてきたのは、会社が飛行機を安全運航させることであり、御巣鷹山のような事故を二度と起こさないとう想いでした。
そして、恩地にその想いを持ち続けさせたのは、同じ想いを持つ会社の仲間の存在だったのだということが一気に理解できた場面でした。
ドラマで恩地の最後のセリフは、山崎豊子さんの小説の最後の下りでした。
「何一つ遮るもののないサバンナの地平線へ黄金の矢を放つアフリカの大きな夕陽は、荘厳な光に満ちている。それは不毛の日々に在った人間の心を慈しみ、明日を約束する、沈まぬ太陽であった。」
山崎豊子さんがこの小説に託した想いが凝縮された言葉です。
ドラマ視聴後、改めて、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」の「あとがき」を読み返しました。
山崎さんはあとがきにこう書いています。
「事故を起こした航空会社は、如何なる安全対策を行ったかが、最も問われるところである。事故後も、ドルの10年先物予約を続け、膨大な為替差損を出しながら『閣議決定』によって、経営責任を問わずという政治決着をつけたことは、企業倫理の欠如であり、事故に対する贖罪の意識の希薄さは言語に絶する。曾て小説「不毛地帯」で、経済の繁栄と共に、良心を失いつつある日本の精神的不毛をテーマにしたが、それから20年経った今、何ら変わっていないことに不気味な怖ろしさを覚える。今回は非常に勇気と忍耐のいる仕事であったが、その許されざる不条理にたち向い、それを書き遣すことは、現在を生きる作家の使命だと思った。」
このあとがきが書かれたのは、1999年8月10日です。高校2年生の息子が1999年生まれですから、この時から17年が経過しました。
乗客乗員15人が死亡、26人が重軽傷を負った長野県軽井沢町のスキーバス事故から明日で1年を迎えます。
山崎さんが憂慮した交通事業者の「企業倫理の欠如」「事故に対する贖罪の意識の希薄さ」は今日も継続されています。
更に、山崎さんが最も危惧した「良心を失いつつある日本の精神的不毛」は、今日更に深刻化している感さえあります。
しかし、このような世の中だからこそ、「沈まぬ太陽」が映画化され、昨年ドラマ化もされ、多くの製作者の心を動かし、その作品を観た視聴者の心を動かしているのでだと思います。
WOWOW連続ドラマ「沈まぬ太陽」を観終わってあらためて、原作者の山崎豊子さんと、WOWOWドラマ制作者の皆さんに敬意と謝意を表したいと思います。
その上で、やまり、私たちが引き継ぐべきは、山崎さんの「許されざる不条理に立ち向かい、それを書き遺すことは、現在を生きる作家の使命だ」という部分です。
私は作家ではありませんが、政治家の一人として、山崎さんの遺志を引き継ぎ、「許されざる不条理に立ち向かい、それを政治の場で明らかにすることは、現在を生きる政治家の使命だ」と、この作品のドラマを観て心を新たにしています。
山崎豊子さんは、2013年に亡くなられました。新しい作品を読むことは出来ませんが、山崎さんが遺された多くの作品と映像化された作品から、「許されざる不条理に立ち向かう」使命感をもえたぎらせたいと思います。
そして、「沈まぬ太陽」の主人公のモデルである小倉寛太郎さんが遺した作品からも多くのものを学んでいきたいと思います。
「沈まぬ太陽」に対する皆さんの想いをお教え下さい。
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