議員日誌

「マイマイ新子と千年の魔法」

 「この世界の片隅に」を作成した片淵須直監督の前作「マイマイ新子と千年の魔法」をDVDで観ました。

 「マイマイ新子」の舞台は、昭和30年代の山口県防府市。

 原作者である高樹のぶ子さんは、昭和21年生まれで、防府市出身。「マイマイ新子」は高樹さんの自伝的小説と言えます。

 監督の片瀬須直さんは、「この世界の片隅に」のパンフレットの中で「防府市文化財郷土資料館の館長だった吉瀬勝康さんと『マイマイ新子』のイベントでご一緒したんですが、その時、吉瀬さんがこうの史代さんの絵のついたクリアファイルに『マイマイ新子』の資料を挟んでおられたんですよ。吉瀬さんは実は実写映画版『夕凪の街 桜の国』(07)の佐々部清監督と同じ高校の出身だったので、直前にその関係のイベントにも行っていたようでした。で、『それ何ですか?』と聞いた時に、『この世界の片隅に』を教えてくれて、原作の単行本を手にしました。」

 「マイマイ新子」が「この世界の片隅に」に繋がっていったのです。

 原作者の高樹のぶ子さんは、「『マイマイ新子』を書き終えて」でこう書いています。

 「昭和30年というのは特別な年でした。『もはや戦後ではない』の言葉も生れ、高度経済成長は、この直後から始まりました。テレビ、冷蔵庫などの家電は不急しておらず、交通手段も衣食住も今から思えば貧しいものでしたが、季節の手ざわりや家族の繋がり、生や死を身近に感じながら子供が子供らしく成長できる環境は豊かでした。戦争の傷跡を片手で押さえながら、それでも日本中が遠く高いものに向かって、今にも駆け出そうとしていた時代。達成したい夢や願望、いや渇望は山ほどありました。あそこからの50年間に日本は見事に高度成長をとげました。しかしまた、何と多くのものを失ったことか。」

 私は、昭和39年生まれ、しかし、田舎育ちですし、両親や姉たちからの話しで昭和30代をイメージできるギリギリの世代だと思います。

 原作の「マイマイ新子」に「麦畑に水が引かれ、牛が重い鋤を引きながら土を掘り返し、平らにされる。水田のできあがりだ。」

 私が小学生の頃まで、水田の前は麦畑でした。耕運機は、昭和30年代の中盤以降導入されはじめたようで、私の実家でも、昭和30年代前半までは、牛が鋤を引きながら土を掘り起こしていたようです。

 児童文学者の金原瑞人さんは、「マイマイ新子」の解説で、「子どもたちが自然のなかで、季節のなかで、人々のなかで、時間をかけてゆっくり成長する確かな手応えがここにはある。この小説のなによりの魅力かもしれない。しかし、それを過去のものとしてノスタルジックに描いているのではない。生き生きとした子供像を、失われてしまったものとしてセンチメンタルに描いているのではない。現在も、現実に、実感できるものとして描いている。」と書いています。

 アニメ研究家の氷川さんは、映画「この世界の片隅に」のパンフレットで映画「マイマイ新子と千年の魔法」について「『マイマイ新子』が話題になったとき、『理由は分からないが泣ける』という感想が多かった。それは『わがことのように思える』という手応えが、反射的な涙よりも深いレベルでの情動を喚起したからだ。それは『かつて確かにあった』という現在につながる『地続き感』であり、観客の心に『世界を肯定する力』をあたえたということでもある。」と書いています。

 子どもが子どもらしく生きていた昭和30年を映画「マイマイ新子と千年の魔法」で共感しました。

 共感しながら今「失ってしまったもの」を見つめ直す作業を私の中でしている最中です。

 昭和39年生まれの私自身が今後生きていく上で、また、4児の父として今後生きていく上で、映画「マイマイ新子と千年の魔法」は私に大切なことを教えてくれた作品となりました。

 アニメを勉強している次男もこのDVDを熱心に観ていました。

 これからも片淵須直監督を応援していこうと思います。

 そして、原作者の高樹のぶ子さんも山口県出身の作家として注目していきたいと思います。

 映画「マイマイ新子と千年の魔法」をご覧になった皆さん感想をお聞かせ下さい。

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