議員日誌

藤堂高虎

 安部龍太郎さんの「下天を謀る」を読んでいます。

 文庫版の解説で三重大学の藤田達生教授は、高虎が秀長に出会って成長したと書いています。

 「秀長に仕えての政治思想に共感した高虎が、天正十九年(1591)に52歳で病没した主君の遺志と人脈を受け継ぎ、安定した武家政権の確立を、家康の参謀となることで実現した。」

 作中に秀長が高虎に「人の上に立つ者は、人の幸せと喜びのために尽くさなくてはならぬ。戦などは愚かなことだ」「実りが豊かで戦いがなければ、皆が幸せになれるのじゃ」と諭す場面が出てきます。

 安部さんは、この時の高虎の心情を「これまでは敵に勝ち手柄を立てたいと思うばかりで、何のために戦っているかと考えたことはない。そのことに思い当たり、不意打ちをくらったような衝撃を受けたのだった。」と書いています。

 更に、藤田教授は、高虎について「幕府の法令に藩を創るためのマニュアルはなかった。高虎は、幕藩体制という新たな武家国家の屋台骨を築くことに献身した敏腕政治家だった。」と書いています。

 藤田教授は、「司馬氏は全作品で高虎を俗物武将の典型として一貫して描いている。」と指摘した上で、安部さんの本作について「高虎の人脈に彼の大成を描いたことは、司馬文学へのアンチテーゼだと私は理解している。」と書いています。

 藤田教授は、「いかなる大名も司馬氏が好むような『男のロマン』に人生を捧げたりはしなかったとみている。現代的に表現するならば、彼らは、『社長』なのであり、何千・何万の『社員』とその家族を路頭に迷わせるわけにいかなかったのだから。」とも書いています。

 藤田教授らは、三重県で、「下天を謀るプロジェクト」に取り組んでいるそうです。

 具体的には高虎を活かした町おこし運動です。 

 根拠のない高虎像を打破し、新しい戦国時代像に挑戦し、町の活性化に繋げる意欲的な運動に読んでいた私もワクワクしてきました。

 民の暮らしの安定のために力を尽くした高虎の人生を「下天を謀る」の中で、読み解いていきたいと思います。

 司馬さんの戦国像を超える新しい戦国時代像を描こうとする「下天を謀る」を読む中で、戦国時代の真の姿を学びたいと思います。

 藤田教授の解説で、この作品が百倍興味深いものに思えてきました。

 年末は、「下天を謀る」の読了にあてたいと思います。

 

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