あさのあつこさんの最新作「X-01(壱)」を読みました。
本の裏表紙から本書のストーリーを引用します。
「N県稗南軍稗南町。由宇の15歳の誕生日の前日、大好きな父親が『X-01』と言い残して急死した。そして黒ずくめの男たちが、『X-01』を求めて、町を破壊しにやってきた!?『X-01』とは、いったい・・・なに?一方、ラタに住む小国、永依の国は滅亡の危機を迎えていた。隻眼の将軍に拾らわれたラタは戦士として血の道を歩み始める。運命に翻弄されている由宇とラタ、2人の魂の物語。」
あさのあつこさんは、「No.6」文庫版のあとがきにこう書いています。
「物語が現実に追いついていない。それは、現実だ。この物語に描かれている悲惨や残虐、力あるものの驕り、人間の欲望、殺意・・・どれをとっても、今、私たちが生きている世界に現出しているものの方が物語をはるかに凌駕しているのではないか。」「それでもやはり書くしかなくて、書かなければ現実の残酷さにも、傲慢さにも負けちゃうような気がして、おめおめ負けましたと尻尾を丸めたくなくて、書く。いつかこの『No.6』を力として、現実に肉薄したい。現実とか人間とかの表皮をはがし、その底にあるものを引きずり出し、その上でなお、絶望でなく希望を語る物語とした。それがわたしの野望である。」
「X-01(壱)」の出版社である講談社BOOK倶楽部のHPに、本書に対するあさのあつこさんからのメッセージが掲載されています。
「わたしは戦いでは、武器では、殺し合いでは人の世を壊すことはできない。決して新しい何かを創り上げることはできないと信じています。破壊のみ。創造は不可能だと。けれど、戦うしか選択肢がない状況下にいる少女たちにとって、(むろん、少年にとっても)、それはただの甘ったるい感情に過ぎないでしょうか。『No.6』という作品を書き終えた後もずっと引きずっていたこの問いに、わたしなりの答えを見出したい。その足掻きの一歩が、『X-01』です。」
現実に肉薄しながら、希望を語る物語を語るあさのあつこさんの「No.6」に込められた野望が、「X-01(壱)」に受け継がれているのです。
野望の一端が、若き軍師リャクランの口から語られています。
「舌と頭。腕力でなく、そっちを使うんだ。つまり、外交ってやつだな。我が国の悲劇はクシカ将軍一人に頼らざるを得ない武力の脆弱さではなく、外交を担当する大臣にろくなやつがいないってことさ。頭も舌も硬直して、まともな話し合い一つもできない。国内ではふんぞり返っているくせに、交渉の場を作る才覚一つ持ち合わせていないんだ。これじゃ、どうしようもない」
あさのあつこさんが言う、「殺し合いでは人の世を壊し創造することはできない。破壊のみ。」との指摘は今の世界と日本への指摘です。
シャクランの言葉は、今の世界と日本への指摘だと思いました。
残酷な現実を希望あるものに変える野望は、私の野望でのあると感じました。
「No.6」「X-01」シリーズは、世界と日本の現実を希望あるものに変えるためのあさのさんの魂の叫びだと感じました。
「X-01(壱)」は物語が始まったばかり、これからの進展が大いに楽しみです。
「No.6」は、全10巻が刊行され、漫画やアニメなどにもなった大作です。
「X-10」の(弐)が出るまでの間に、「No.6」を読了したいと思います。
あさのあつこさんの作品は、この20年、常に私の身近にありました。
しかし、あさのさんの作品は「バッテリー」以外、本格的には触れてきませんでした。
あさのさんの作品には、今日、紹介したようなSFファンタジー作品だけではなく時代小説や様々な世界が大きく広がっています。
満を持して「あさのワールド」に本格的に触れる秋にしたいと思います。
あさのあつこファンの皆さん。お薦めの作品をお教え下さい。
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