原田マハさんは、新潮社「波」のインタビューで「暗幕のゲルニカ」を書くきっかけについて問われ次のように述べています。
「『ゲルニカ』には、油彩と同じモチーフ、同じ大きさのタペストリーが世界に3点だけ存在します。ピカソ本人が指示して作らせたもので、このうち一点はもともとニューヨークの国連本部の会見場に飾られていました(ちなみに1点はフランスの美術館に、もう一点は高崎の群馬県立近代美術館に入っています)。しかし事件は2003年2月に起こります。イラク空爆線や、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルが記者会見を行った際、そこにあるはずのタペストリーが暗幕で隠されていたのです。私はそれを、テレビのニュースで知りました。(中略)結局、誰が暗幕をかけたのかは未だにわかりません。アメリカがイラクに軍を向ける、その演説にそぐわないと考えた何者かでしょう。けれど、その何者かは『ゲルニカ』に暗幕をかけることで、作品の持つ強いメッセージを図らずも世界中に伝えることになったのです。」
小説の中で、パウエル長官は、パワー長官となり、このように書かれてあります。
「空爆を仕掛けると発表する場合の背景として、人類史上初となったゲルニカ無差別空爆を非難する絵はあまりにも不似合いだ。いいや、不似合いを通り越して、逆説的ですらある。世界の平和と秩序のために、悪の枢軸国家=テロリストと闘うアメリカが、一般市民を巻き込む無差別攻撃を行ったナチスと、まるで同じことをしようとしているかのようではないか。」
原田さんの筆が「ゲルニカ」を通して叫びます。
冒頭引用したインタビューに戻ります。
「同じ年(2003年)の六月、スイスのバーゼルで行われた印象派の展覧会を訪ねたところ、会場のロビーにそのタペストリーが飾られていたのです!横には、暗幕の前でパウエル国務長官が演説をしている写真と、展覧会の主催者として大コレクター、エルンスト・バイエラー氏のメッセージがありました。『誰が(ゲルニカ)に暗幕をかけたかはわからない。しかし彼らはピカソのメッセージそのものを覆い隠そうとした。私たちはこの事件を忘れない』と。」
更に、原田マハさんのインタビューの掲載します。
「実際は、美術が戦争を直接止めることはできないかもしれません。それは小説も同じでしょう。けれど『止められるかもしれない』と思い続けることが大事なんです。人が傷ついたりおびえたりしている時に、力ではなく違う方法でそれに抗うことはできる。どんな形でもクリエイターが発信していくことをやめない限り、それがメッセージになり、人の心に火を灯す。そんな世界を、私はずっと希求していきます。」
原田さんのこの考えに共感します。
原田さんの「暗幕のゲルニカ」を読みながら、何度も表紙のゲルニカを観てパワーをもらっています。
一人の政治家として、一人の川柳作家として、一人の人間として、平和を築くために何ができるのか考えていきたいと思います。
私たちは「暗幕のゲルニカ事件」を決して忘れてはいけません。
「暗幕のゲルニカ」は、50代の今の私に最もインパクトを与えた一冊になりました。
原田さんすばらしい作品をありがとうございます。これからも、原田マハさんを応援していきたいと思います。
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