本日、日本中国友好協会山口県連合会の理事会に参加しました。総選挙の日程の関係で延期した中国旅行について、来年5月中旬に開催することなどを話し合いました。
中国旅行の行先は、大連・瀋陽です。瀋陽では、「9・18歴史博物館」に行くことを計画しています。9.18とは満州事変が起こった日です。1931年9月18日午後10時すぎ、奉天に向かう満鉄の急行列車がここを通過する直前、線路に仕掛けられた爆薬が爆発しました。これをきっかけに関東軍と中国軍の戦闘がはじまりました。日本では、敗戦まで中国側が仕掛けた事件と信じられていましたが、今では、関東軍の板垣高級参謀と石原作戦参謀のコンビによる謀略であることが明らかになっています。
せっかく瀋陽に行くのなら、「平頂山殉難同胞遺骨館」にも行こうと話し合いました。満州国が建国されて間もない1931年9月15日、未明、抗日ゲリラ「抗日民衆自衛軍」が撫順炭鉱を襲撃し、関東軍の撫順独立守備軍と戦闘になり、日本側に死者が出ました。撫順独立守備隊は「住民が通報しなかったのは、自衛軍と内通していたためだ。」とし、平頂山の住民3000人が関東軍の手によって虐殺されました。
(以上参照・観光コースでない「満州」)
日中友好新聞10月5日号には、平頂山事件の生存者の一人である王質梅さんのインタビューが掲載されています。「やがて静かになって起きだしたら、あたりは血の海、火の海だった。日本軍は行ってしまったと思い、父・母の名前を読んで探したが見つからない」。
1996年に3人の生存者が原告となり日本政府を訴えた「平頂山事件訴訟」で、裁判所は事実を認めましたが、政府の責任は問いませんでした。王さんは、今も、日本政府に「虐殺の事実を認め、謝罪してほしい」と訴えています。
私は、自分の目で、3000人の遺体が眠る「遺骨館」に行き、その事実を確かめてきたいと思います。
さて、田母神自衛隊航空幕僚長が、「我が国が侵略国家だったというのは濡衣」などと、かつての日本の侵略戦争を美化する論文を執筆し、更迭されました。田母神氏は、論文で、旧日本軍の中国侵略を「駐留条約に基づたもの」と正当化し、張作霖事件は「コミンテルンの仕業という説がきわめて有力」とし、「満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。」などと書いていると報道されています。
田母神氏は、王さんの主張をどのように言い逃れるのでしょうか。平頂山事件も「コミンテルン」の仕業とするのでしょか。そして、平頂山事件などを受けても、日本軍が、満州を開放したと言い続けるのでしょうか。
田母神氏が罷免されたことは、当然ですが、このような人物を要職に置いて放置してきた政府、首相、防衛相の責任は問われなければなりません。
日本中国友好協会山口県連合会主催の瀋陽・大連行きの旅行の日程と内容が決まりましたら、本ブログにも掲載します。多くの参加者をお待ちしています。
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