議員日誌

犀川スキーバス転落事故

 フェイスブックに出身の日本福祉大学を登録しています。

 日本福祉大学をタッチすると、大学の詳細情報が出てきます。

 その中に、「1985年-犀川スキーバス転落事故により学生22名、教員1名など25名が亡くなった」とあります。

 「犀川スキーバス転落事故」と検索してみると、「ウィキペディア」に事故の様子が詳しく記載されていました。(以下、ウィキぺディアを参考にして記述します。)

 1985年1月27日、夕方、体育の授業としてスキー教室のために、私は、3台のバスの2台目に乗り、愛知県美浜町の大学を出発しました。

 28日午前5時45分、犀川にかけられた大安寺橋にさしかかる手前の左カーブで、バスはガードレールを破り推進4メートル、水温4度という極寒の犀川に転落しました。

 私の乗った2号車と1号車は、大安寺橋を渡り、スキー場に向って走っていました。

 夜が明け、3号車に事故があったことが分かります。

 私たちの乗ったバスは、長野県警のパトカーの先導で、近くの警察署に到着しました。

 付き添いの先生から事故の概要が説明され、二つの事が指示されました。

 「生存者のために、服などを提供してほしい。自分が無事であることを家族に伝えること。」

 私は、公衆電話の列に並んで、自宅に電話しました。

 このスキー教室に山口県出身で参加していたのは、私を含めて二人だったと記憶しています。

 母のところにも取材が来て、「息子から『元気だ』の電話が入った」という母のインタビュー記事が地元新聞に掲載されたと後日聞きました。

 その後、バスの中のテレビで事故の様子を報道しているのを観ました。

 事故現場近くの「正源寺」に遺体が安置され、私たちは仮通夜に参列しました。

 マスコミによるカメラのフラッシュの間を抜けての参列だったことを昨日のように思い起こします。

 1987年9月13日に、事故現場に慰霊碑が建立されました。正源寺では現在も遺族会などによって法要が行われているそうです。

 慰霊碑と正源寺で手を合せることが私の残された人生での一つの課題です。

 改めて、遺族の方々にお悔みを申しあげます。

 

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