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1970年代に米軍岩国基地所属の航空部隊が沖縄で模擬水爆投下訓練を実施していたとの報道について

 14日、山口新聞は、1970年代、岩国基地で核戦争を前提とした訓練が実施されていたと次のように報じました。
 「冷戦下の1970年代、ソ連や中国をにらんた米国の核戦争計画に在日米軍が組み込まれていたことが13日、機密解除された米公文書で分かった。岩国基地(岩国市)の航空部隊が日本復帰後の沖縄で模擬水素爆弾を使った核兵器投下訓練を繰り返していた。非核三原則を揚げる日本で、米軍は核運用可能な部隊の構築に固執。日本が核出撃の拠点になり得た。訓練中に落下事故もあった。訓練が確認できたのは71~74年。沖縄は72年5月に米国から日本に返還された。米国の核政策に詳しい九州大の中嶋琢磨教授は『返還後の沖縄で米軍が核攻撃に必要な態勢を保っていたことが初めて明らかになった』と指摘した。被爆地・広島に近い岩国では、60年代に核を積んだ米揚陸艦が基地沖合で常時停泊していたことが既に判明している。公文書は、岩国に司令部があった第一海兵航空団(現在は沖縄県中部の米軍キャンプ瑞慶覧)や傘下部隊による70~74年の公式記録『コマンドクロノロジー』。米国立公文書館が保管し、共同通信が中島氏と共に分析した。記録によると、航空団は71年7月、核戦争に備える『単一統合作戦計画(SIOP))』に基づく任務に就いた。航空団傘下の第211攻撃中隊、第533全天候攻撃中隊の航空機が那覇の米軍施設(現在の那覇空港)にたびたび移動。核搭載の手順を確認し、沖縄本島周辺で模擬水爆の投下を続けていた。核投下には、強烈な暴風を回避する特殊な操縦技術が必要になる。71年9月の訓練では『緊急呼び出しから6時間以内に14機が那覇に飛来した』と記録されており、即応性の向上を図っていたこともうかがえる。72年2月にも9機が参加した。沖縄返還後も73年3月からの1カ月と、74年3月からの1カ月半に核投下訓練をしていた。トラブルもあり、73年4月に訓練中の攻撃機が那覇の西約75キロの海に墜落。近くには射爆撃場があった。操縦士は脱出して無事だった。日本政府は72年4月の国会答弁で、核を運用し得る米軍部隊が日本に存在するかどうかは『確認できていない』と説明。75年3月には三木武夫首相が『核兵器の部隊があるとは信じていない』としていた。◇単一統合作戦計画(SIOP)米軍が策定した全面核戦争のシナリオ。最初にまとめられたのは1960年代で、ニクソン政権下の71年には先制攻撃で最大4200発、報復攻撃では最大4千発の核をそれぞれ6500と6400のソ連、中国の軍事拠点や主要都市を標的に想定。米国は現在、通常兵器と核を組み合わせた作戦計画を採っている。」
 日本共産党は、2000年の早い時期に、アメリカの国立公文書館での調査で、1960年1月の安保条約調印の際に結ばれた米国政府の一連の秘密解禁文書を入手しました。
 第一の文書は、1958年10月4日、安保改定交渉が開始された第1日に、米政府代表のマッカーサー駐日大使が、日本政府代表の岸信介首相と藤山愛一郎外相に何を説明したかを示す同大使の電報(マッカーサー大使が駐マニラ米大使に送った電報58年10月22日)です。
 同電報は、事前協議の定式についての説明は米国務省・国防総省共同の訓令に従って行われ、その訓令は、『核兵器を搭載している米軍館の日本の領海と港湾への立ち入りの問題は従来通り続けられ、(事前)協議定式の対象にならない』と指示していたことーを明記しています。『核兵器を搭載している米軍艦』の寄港に事前協議を適用しないという米側の立場を、交渉の第一日から日本側に明確に説明していたことを明らかにするものです。
 また、同電報は、「条約草案」と「(事前)協議の定式(のち岸・ハーター交換公文)」、それについての解釈(のちの「討議記録」)を「一括(パッケージ)提案」しています。
 もう一つの文書は、交渉の合意成立当時の交渉過程を伝えるマッカーサー大使の報告電報(同大使が米国長官にあてた電報59年6月20日)です。
 同電報は、同年6月18日、マッカーサー大使が条約、交換公文、「討論記録」の米側最終案を手渡し、これは「単一のパッケージ」だとして、「まるごと全体を受け入れるか拒否するか」の回答を迫っていたこと。これに対し翌日、日本側が岸首相の意思として、3文書の「すべてのポイントを受け入れ」るが、交換公文について1点だけ修正を求めるとの回答を行ったこと。これを米側が20日に承認して、「完全な合意に達した」という経過が明記されています。
 政府は、今回の報道も受け、「討論記録」を密約として認め、廃棄し、文字通り、「非核3原則」を国際的に貫くべきです。
 高市首相の「持ち込まさせず」の見直しに言及するなど許されません。
 2019年に、第一次トランプ政権は、ロシアとの間の中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄し、ミサイル開発に乗り出しました。
 2017年、米陸軍は、「マルチドメイン・タスクフォース」(MDTF)という新たな部隊を発足させましたが、同部隊が、現在、地上発射型長距離ミサイル運用の中核を担っています。今回、岩国基地にタイフォンを展開させたもの、ハワイを拠点とする第3MDTFです。
 米国のウォーマス元陸軍長官は2023年6月の記者会見で、「MDTFは、サイバーや宇宙領域での作戦や情報戦の能力、長射程の火力を備えている。理論上は、日本やオーストラリアにMDTFが駐留することは非常に有用だ」と語っています。
 タイフォンには、トマホークが装着されます。トマホークは核弾頭にすることも可能です。
 「密約」が日米間で「破棄」されていないのなら、岩国基地に展開した「タイフォン」で、1970年代に行われた同様の訓練を実施しないと米側は言わない可能性もあります。
 1970年代に岩国基地で実施された核訓練は、「密約」が破棄されていないのなら、今日的な問題です。
 その意味でも、岩国基地で再び「タイフォン」が訓練で使用することを拒否するよう、私は、県議会議員として県に引き続き求めていきたいと思います。
 この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。

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