民主青年新聞 9月22日(月) 3194号に、私が書いた「長生炭鉱水没事故とは――犠牲者の尊厳の回復を」が掲載されました。
読んでみたいという方は、私に連絡ください。ブログのトップページの「問い合わせ」のバナーから私にメールを送ることができます。
掲載された私の文書は以下の通りです。
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長生炭鉱水没事故とは――犠牲者の尊厳の回復を
長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会運営委員・日本共産党山口県議会議員 藤本一規
はじめに
8月23日、韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領が来日し、石破茂首相と日韓首脳会談を行いました。共同プレスリリースに「石破総理は、1998年の『21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ共同声明』を含む歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる旨述べた」とあります。
翌日、李大統領は、日韓議員連盟と会談しました。日本共産党の志位和夫議長は、「戦後80年にあたって、日韓両国の友好関係をさらに発展させていくためには、1990年代の三つの重要文書ーー村山談話(95年)、河野談話(93年)、および日韓パートナーシップ宣言(98年)の核心的内容を引き継ぐことが大切だと考えます。日韓両国間の二つの懸念(旧日本軍『慰安婦』・元徴用工問題)については、被害者の名誉と尊厳の回復が何よりも大切であり、そのために日本政府は誠意ある対応を行うことが重要」と述べました。
村山談話は、「植民地支配と侵略によって、(中略)多大の損害と苦痛を与えました」としました。河野談話は、「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」としました。日韓パートナーシップ宣言は、「植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ。これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを」としました。
石破首相が、「これらの文書の立場を全体として引き継いでいる」と述べたことは重要です。志位議長が指摘する「被害者の名誉と尊厳の回復が何よりも大切」とする被害者に、長生炭鉱水没事故犠牲者が含まれます。
石破首相は、3つの重要文書に沿って、犠牲者の名誉と尊厳の回復のために責任を果たす時です。
長生炭鉱水没事故とは
1941年12月8日、日本軍が真珠湾を空爆し、アジア太平洋戦争が始まりました。その2カ月後の1942年2月3日、山口県宇部市の海底炭鉱・長生炭鉱で水没事故が発生し、183人が亡くなりました。136名が朝鮮人で、47人が日本人でした。
「宇部市史」に「長生炭鉱への朝鮮人強制連行と水没事故」という章があります。「宇部市史」は、長生炭鉱で働いていた朝鮮人は強制連行だったと規定しています。「宇部市史」は、「長生炭鉱の『集団渡航鮮人有付記録』には昭和十五年四月から十二月までの間に朝鮮からの六回にわたる集団移入させられた四五一人の名前と鉱夫番号が記され」と書いています。鮮人とは朝鮮人の蔑称です。有付とは仕事に就かせるという炭鉱用語です。戦時中、在日朝鮮人を管理するために内務省と警察を中心に結成した組織である「中央協和会」の資料に、長生炭鉱には合計1258人の朝鮮人が強制連行されたとあります。
「宇部市史」は、「長生炭鉱は、特に坑道が低く、危険な海底炭鉱として知られ、日本人鉱夫から恐れられたため朝鮮人鉱夫が投入されることになった模様であり、その当時『朝鮮炭鉱』と蔑称された」と書いています。西日本の炭鉱を管理した福岡鉱山監督局は、拂堀(坑内の炭柱の払い過ぎ)を禁止していました。長生炭鉱は、坑内の支柱を過度に除去していました。福岡鉱山監督局は、「海底下の第四紀層五㍍以上十㍍未満のときは第三紀層の厚さ四十㍍未満」は採掘してはならないと規定していました。長生炭鉱は、第四紀層の厚さは7メートル、第三紀層の厚さは30メートルでした。長生炭鉱は、福岡鉱山監督局の二つの規定に違反した上で操業を行っていたのです。経営者だった頼尊淵之助は、戦後「大きな水没事故を起こし、大きな犠牲者を出したのは、私が法律違反をして採掘したためであり、山口地方裁判所に記録が残っている。私が悪いのであります」と語っています。(保安基準規制強化に反対する会合での発言)。アジア太平洋戦争勃発の時期であり、長生炭鉱では、鉱夫の命よりも、戦争遂行・石炭増産を優先させ、水没事故が起きたのです。
長生炭鉱水没事故関係者の証言
長生炭鉱で働いた労働者の証言が残されています。その一人が、18歳で日本に強制連行された金景鳳(キム・ギョンボン)さんです。金さんは、こう証言しています「一九四一年、私が十八歳の時に日本の巡査が突然、家(慶尚北道)にやってきて連行されました。オモニ(母)は、巡査の足を引っ張り、ダメだ、ダメだって泣いて引き留めたのですが、巡査は、私を引っ張って連れ出しました」「苦しい炭鉱の生活を抜け出すため三人で逃げました。しかし、長生海岸の砂浜で道に迷っているところを捕まりました。二人は三十歳以上だったためか、殴られて殺されました。十八歳だった私は木の棒でしこたま殴られましたが、命は助かりました。しかし、今もその時の傷跡が頭の部分にあります」。長生炭鉱では、水没事故の犠牲者だけではなく、逃亡した鉱夫が殺される事件があったのです。また、朝鮮人の強制連行があったことが分かる証言です。
次は、長生炭鉱水没事故で亡くなった金元達(キム・ウォンダル)さんの最期の手紙です。金さんが事故に遭う前に、母に送った手紙です。事故が起こって、二か月後に手紙が朝鮮に住む母の元に届きました。
「お母さん、私は今、日本の山口県という所で炭鉱の仕事をしています。海の下に坑道が通っていて、海の上を通る漁船のトントンという音も聞こえてくるほどのとても危険な場所です。でもどんな手段を使ってでも、必ず脱出するつもりです。心配しないでください。脱出するにもとても難しいです。垣根は3メートル程の厚い松の板で囲ってあり、その外側をぎっしりと鉄条網が張り巡らされています。その囲いの中にある宿舎は、まるで捕虜収容所のようなとところです。警備も厳しく、一切の自由もなく、外出もできない拘束の中で生活しています。出入り口の門には、武装した警備員たちが厳めしく見張っています。体の具合が悪いからと言って、その日の仕事を拒否でもすると、動物以下の扱いを受け、暴力を振るわれ、食事もろくに貰えず、空腹で過ごす日々も多くあります。(中略)必ず脱出して、必ずお母さんの所に帰ってきます」
この手紙は、長生炭鉱で、朝鮮人の強制労働があった実態を告発するものです。
植民地支配犠牲者に謝罪と補償を
日本が韓国の独立を奪い、日本の植民地支配下においたのは、115年前の1910年に調印された「韓国併合条約」によってです。「韓国併合条約」は、韓国皇帝が韓国の統治権を日本に譲り与えるといい、日本の天皇はこれを承諾し引き受けるという形をとっています。「韓国併合条約」にもとづく朝鮮植民地支配の不当性が明らかになったのは、「カイロ宣言」によってです。カイロ宣言は、日本が、朝鮮の人民を「奴隷状態」置いていることを明らかにしました。日本が朝鮮を植民地支配し、朝鮮人を奴隷状態に置く中で、長生炭鉱の水没事故犠牲者の問題が発生したのです。日本は、「カイロ宣言」の全面的な条項の履行を明記した「ポツダム宣言」を受諾し、「奴隷状態」に置いた朝鮮人を解放しました。石破首相は、ポツダム宣言に立ち返り、「奴隷状態」により生じた諸問題を解決すべきです。
2001年、「植民地支配と奴隷制度は過去にさかのぼって非難されなければならない」とする「ダーバン宣言」が、採択されました。
2021年、ドイツ政府は、旧植民地のナミビアでの大虐殺を認め謝罪し、補償金の提供を発表しました。近年、過去の植民地支配や奴隷制度を謝罪し、補償に踏み出す動きが広がっています。石破首相は、「ダーバン宣言」に基づき、植民地支配で奴隷状態に置いた朝鮮人への謝罪と補償に足を踏み出す時です。
長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の活動
水没事故の50年後の1991年に、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会が結成されました。水非常とは、水没事故を表す炭鉱用語です。刻む会は①ピーヤ(排気・排水筒・写真1)の保存②犠牲者の名前を刻んだ追悼碑の建立③証言・資料の収集に取り組んできました。1992年に韓国遺族会が結成され、翌年から遺族を招聘して毎年現地で追悼集会を開催してきました。2013年には、追悼碑が建設されました。追悼碑には、全ての犠牲者の名前と「日本人犠牲者」「強制連行 韓国・朝鮮人犠牲者」の文字が刻まれています。(写真2)
追悼碑を披露した直後、刻む会に、遺族から「刻む会は、これで運動をやめようとしていないか、自分たちは遺骨を故郷に持って帰るまで闘う」という言葉が寄せられました。その翌年から、刻む会の活動方針に「遺骨収拾・返還」が加わりました。
遺骨らしき人骨が発見 政府の責任は重大
2024年9月、82年間埋められていた長生炭鉱の坑口を開けることができました。翌月から、世界的な水中探検家の伊佐治佳孝さんを中心に日韓のダイバーよる潜水調査が、行われてきました。8月25日から行われた6回目の潜水調査で人骨と思われる骨が収拾されました。山口県警の調査で、骨は人骨で、大腿骨と上腕骨と橈骨と頭蓋骨(写真3)であることが分かりました。
2004年12月に行われた小泉純一郎首相と廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領による日韓首脳会談で、 廬大統領が元徴用工の遺骨問題の解決を提起し、小泉首相が「何が出来るのか検討する」と答えました。政府は、長生炭鉱の遺骨について位置や深度が不明のため発掘は困難だとしてきました。遺骨と思われる人骨が発見された今、政府の言い分は通用しません。
9月4日に行われた超党派の国会議員との交渉の中で、水中探検家・伊佐治さんと日韓両国のダイバーを交えた検討会の開催について、厚労省は、「実施する」と答えました。政府は、長生炭鉱の遺骨収拾と返還に責任を果たす時です。
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