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1945年7月以降、全国に模擬原爆は49発投下され、その内、3発は宇部市へのものでした。

 今朝の読売新聞は、模擬原爆について次のように報じました。
 「終戦直前の1945年7月~8月、全国各地に原爆そっくりの形をした大型爆弾が投下された。米軍が軌道を確認し、着弾精度を高める訓練をするために製造した模擬原爆だ。広島・長崎の悲劇につながるもので、約400人が死亡したとされる。その遺族らは『原爆による被害は、広島と長崎だけではない』と訴える。『遺骨は見つからず、出てきたのは変形したがま口だけ』。大津市の松浦儀明さん(88)は、模擬原爆で姉・治子さん(当時16歳)を亡くした80年前を思い巡らせる。8人きょうだいの長女だった治子さん。白いエプロンを身に着け、お昼時には『ご飯やで』とかいがいしく庭先まで家族を呼びに出た。地元の大津高等女学校に通い、自宅から2・5キロ離れた東洋レーヨン滋賀工場(現・東レ氏が事業場)で勤労奉仕に励んでいたとき、空襲に巻き込まれた。米爆撃機『B29』が工場に向けて模擬原爆1発を投下したのは45年7月24日朝だ。建物は吹き飛んで火災が起きた。家族が工場や学校に安否を尋ねたが消息は不明のまま。一家が工場に呼び出されたのは空襲から半年後だった。母ナオさんと弟と共に工場に向かう。犠牲者の遺品がまとめられたかごの中には、治子さんが使っていたがま口があった。元々赤いビーズで装飾されていたが、火災で変色したのだろうか紫色になり、ぐにゃりと曲がっていた。遺骨は見つからず、治子さんの墓には、形見となったがま口を入れた。この空襲では16人が死亡、100人以上が負傷したとされる。戦時中は松浦さん自身も空襲に見舞われた。生まれつき股関節に障害があり、素早く動くことができない。それでも空襲警報が鳴るたびに不自由な脚を動かし、安全な場所に逃れた。戦後は生活に困窮し、木の実を食べ、駅前で物乞いをして生き抜いた。だが幼い妹は栄養失調で息を引き取った。苦しい生活の中でも、遺骨すら見つからなかった治子さんのことを忘れることはなかった。約20年前、研究者から、東レ滋賀工場の爆弾は、模擬原爆による被害だったと聞かされた松浦さん。『原爆につながる爆弾だとはとても思わなかった』と驚がくした。『戦争でしわ寄せを喰らうのは一般市民。大切な家族を失い、暮らしをめちゃくちゃにされた』。今も悔しさをかみしめる。戦後、歴史に埋もれていた模擬原爆の存在に光を当てたのは愛知県の市民グループ『春日井の戦争を記録する会』だった。同会は1986年中学教諭らで結成した。米軍が本土爆撃の効果を検証した調査団の報告書を精査し、終戦前日の45年8月14日、春日井市が狙われた空襲を調べていくうち、報告書の記述の脇に『スペシャル17番』という単語があることに気付いた。研究者らの間では、広島と長崎に投下された原爆は、それぞれ特殊任務(スペシャル)『13番』『16番』と知られている。同会の金子力さん(74)は、『春日井の空襲と原爆は関連している』と直感した。金子さんはその後の91年、国立国会図書館(東京)で、米軍が原爆を投下するため特別に編成した『第509混成群団』の出撃任務一覧表と地図を見つける。資料には『特殊爆撃作戦』と書かれ、広島や長崎と並び、春日井市内の地名も記されていた。米アラバマ州の空軍基地でも調査を行い、同群団の爆撃を詳細にまとめた『特殊作戦任務報告書』を発見。各地の空襲に詳しい『空襲・戦災を記録する会』の工藤洋三さん(75)(山口県周南市)も加わり、読み解くうちに、B29が原爆と同じ形状で同質量の模擬原爆を搭載し、秘密裡に日本上空で投下訓練を繰り返していたことを突き止めた。会員らは収集した資料などを手掛かりに、18都道府県で計49発が投下されていたことを明らかにした。このうち46発は着弾地点まで特定した。金子さんは『核兵器が初めて使われたのは日本で、各地が実験台になった過去に思いを巡らせてほしい』。工藤さんも『49発の模擬原爆を学ぶことで原爆投下計画の全体像が理解できる』と話す。」
 模擬爆弾が投下された日付と都府県名が掲載されています。
 1945年7月20日=福島、茨城、東京、新潟、富山
        24日=岐阜、三重、滋賀、兵庫、愛媛
        26日=福島、茨城、新潟、富山、静岡、愛知、大阪
        29日=福島、東京、京都、和歌山、山口
      8月 8日=福井、三重、徳島、愛媛
        14日=愛知
 1945年7月29日に模擬原爆が投下された山口県の都市は、私が住む宇部市です。
 私の本棚に、1995年に刊行された、宇部市の空襲を記録する会編の「宇部大空襲 戦災50年目の真実」という本があります。
 この中に、新聞記事にも出てこられた工藤洋三さんによる「模擬原爆(パンプキン)投下ー7月29日ー」があります。工藤さんは、こう書いています。
 「米軍の原子爆弾投下専門部隊である『第509混成群団』は原爆投下に先立ち、日本本土で模擬原爆を使って訓練をおこないました。使用された爆弾は長崎原爆と同型同重量(4・5トン)のパンプキン(かぼちゃ)とよばれました。宇部市には、同年7月29日、3発が落とされました。第一発目は、同日午前8時41分、宇部窒素肥料工場を標的に投下されましたが、目標をはずれて宇部市西海岸通1丁目の住宅付近(現在の宇部市新町、オオバヤシスポーツ斜め前の道路上)に落下。二発目は宇部曹達会社(現、セントラル硝子)をねらい午前8時49分に投下し、同じ工場を直撃。三発目は日本発動機油会社(現在の宇部市ガス付近)を目標に午前9時2分に投下され、宇部市東海岸通(現、東本町1丁目)の梶山文作商店を直撃しました。」
 宇部警察沿革誌によれば、3発で、死者25人、傷者36人、行方不明0人、被害戸数86戸、罹災者429人だったとこの本に書かれてあります。
 全国で49発の内、山口県宇部市に3発の模擬原爆が投下されたこと、原爆の被害は、宇部市にまで及んだことを、伝えていきたいと思います。
 そして、二度と、このような事態を繰り返さない社会を目指していきたいと思います。
 模擬原爆について、皆さんのご意見をお聞かせください。

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