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宇部大空襲直後の写真に疑義

 7日、宇部日報は、宇部大空襲直後の写真に疑義があると次のように報じました。
 「宇部市や小学校の副読本に掲載されている太平洋戦争中の市街地空襲直後の写真に、疑義が生じている。静岡県浜松市の写真とほぼ同じで、異なるのは写真左下の黒っぽい建物の有無だけ。元小学校教諭の岡本正和さん(71)=厚南中央6丁目=が、宇部大空襲の研究を進める過程で発見。『つかんでいる情報では、宇部の方に疑問点が多い。調査を継続していくが、子どもたちに教えていたことが違っていたとしたらショックだ』と語る。岡本さんは、兵庫県姫路市に事務局を置いていた太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会が1995年に発行した『平和の祈り』という書籍を、同市の平和資料館で手を入れた。全260ページの15ページ目に宇部市、96ページ目に浜松市の焼け野原の写真が都市名入りで紹介されており、おかしいことに気付いた。建物の有無以外は、焼け残った木々の枝ぶりや廃墟の様子が全く同じだったのだ。調べを進めると、副読本『わたしたちの宇部』には3回目の改訂となった68年から現在まで56年間も使われ続け、72年刊の『歴史の宇部ー戦前戦後五十年』(市制50年記念誌編さん委員会)、79年刊の『ふるさとの想い出 写真集宇部』(国書刊行会)、93年刊の『宇部市史通史編下巻』(市)、2011年刊の『うべ歴史読本』(うべ未来プロジェクト)にも掲載されていた。郷土資料を保管する学びの森くすのきには、この写真の原本は無く、コピーが所蔵されている。古い話で定かではないものの、20年ほど前にも別の人から宇部の写真ではないと指摘があり、ここ最近の同館での戦争に関する企画展では、この写真を使用していないという。一方、浜松市の写真は1973年に浜松大空襲・戦災を記録する会が発行した『浜松の大空襲』の表紙カバーとなり、地元新聞社が発行した『大空襲 郷土燃ゆ』にも使用されている。しかも、浜松の方にだけある建物は『7階建ての松菱百貨店』と明確にし示され、撮影者の名前も記されている。ネット上でも、軍需産業が盛んで軍事施設飛行場もあり、米軍に集中的に狙われた浜松の戦災の象徴的な写真として扱われ、同市の市立中央図書館のデジタルアーカイブ(電子保存記録)でも確認できる。教諭時代、臨場感のある授業づくりに努めていた岡本さんは、宇部の写真が撮影された場所を知ろうと、何人もの先輩に尋ねたが、明確な答えは得られなかった。目を凝らすと、建物が白く塗りつぶされているようにも見えるが、真相は不明だ。『気が付いたからには真実を調べることが責務』と岡本さん。7月7日午後1時半からヒストリア宇部で開く第5回『宇部大空襲を知るつどい』で調査結果を発表したいと考えており、情報を求めている。問い合わせは岡本さん(電話41-9192)」

 歴史は修正せず、真実を伝え、残すべきです。

 岡本さんの調査に期待すると同時に、宇部市としても調査し、間違っていた場合、市民に説明と今後の方針を示すべきです。

 この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。

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