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次回朝ドラは、初の女性弁護士 三渕嘉子さんがモデルです

 敬愛する京都市の市民共同法律事務所の中島晃弁護士から市民共同法律事務所だより「市民共同」が送られてきます。新年号に、久米弘子弁護士の「今年始まる朝ドラに期待するー初の女性弁護士登場ー」との文章が掲載されていますので紹介します。
 「今年の新しい朝のドラマのモデルは、初の女性弁護士の一人、三渕嘉子さんです。かつて、日本では、女性は弁護士にも裁判官にもなれませんでした。1936(昭和11)年の弁護士法改正によって『男子に限る』という規定は、削除されました(京都弁護士会は当時、この改正案に反対し、『男が生命をかける弁護士の仕事を女など参加させられるか』と言ったとか。時代を感じますね。)ただ、弁護士試験の合格に必要な法律学を学べる教育制度が女性にはありませんでした。このため、三渕さんはお茶の水高女を卒業後、明治大学に新設された女性法科に入学しました。ここで、久米愛さん、中田正子さんと共に法律学を学び、1938(昭和13)年11月に、3人共、高等文官の司法科試験に合格しました。その後、研修を経て、3人はそれぞれの東京の弁護士事務所で弁護士試補として見習いをはじめ、1年半後の1940(昭和15)年12月に弁護士登録をしました。戦争への動きが激しくなる中、初の女性弁護士3名の登場は明るいニュースでした。終戦後、三渕さんは裁判官に転身することを考えます。それまで裁判官も検察官も『男性に限る』とされていましたが、終戦後男女平等となったのだから、裁判官にも女性が採用されないはずはない、と思ったのです。三渕さんは司法省に裁判官への採用願いを提出しましたが、正式に任用されたのは、新憲法が施行され、最高裁判所が発足したのちの1947(昭和22)年6月のことでした。三渕さんはその後、各地の家庭裁判所に転任し、1979(昭和54)年に65歳で横浜家裁所長(所長も女性初)を定年退職されました。その後は弁護士、家裁の調停委員や参与員、行政の委員、婦人法律家協会の会長を含む各種団体の役員などとして活躍され、1984(昭和59)年5月に69歳で亡くなりました。私は、1965(昭和40)年、19期司法修習生(500名中女性は26人位)として、東京の研修所に入りましたが、当時、婦人法律家協会の先輩女性達が、女性修習生の歓迎会を開いて下さったことを覚えています。私と同姓(親族関係はありません)の久米愛さんは三渕さんと同年に女性で初の弁護士になられたお一人ですが、歓迎の席で法曹の中ではまだ数少ない女性であった私達を励まして下さいました。そのお気持ちに身が引き締まる思いでした。私が京都弁護士会に入会した当時、京都弁護士会の会員はまだ200名に足らず、女性会員は私を含めて4名でした。昨年末で京都弁護士会は会員852名、女性は194名(21.6%)に増えました。今年は日弁連初の女性会長が誕生する、と期待されています。きびしい時代に、先輩女性法曹がめざしていた男女が当たり前に働くことのできる社会が次第に実現していることを頼もしく思う一方、世界的なレベルでは残念ながらまだまだ日本は遅れている、と思うことの多いこの頃です。(参考:佐賀千恵美著『女性法曹のあけぼの』)」
 今春から始まるNHKの朝ドラ「虎に翼」は、三渕嘉子さんをモデルに、主役を伊藤沙莉さんが演じます。久米弁護士の文章を読んで大いに期待を広げています。
 それにしても、1936年まで女性が弁護士になれなかったことや、戦後まで女性が裁判官や検察官になれなかったことは、久米弁護士の文章で知りました。
 NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートしました。昨夜の第二話を観ました。
 年末、私が敬愛する作家の一人である帚木蓬生さんの「香子 紫式部物語1」を書店で購入し、今、少しづつ読んでいます。

 帚木さんの本を読みながら、大河ドラマ「光る君へ」を観続けていきたいと思います。

 この春は、大河ドラマ「光る君へ」と朝ドラ「虎に翼」を観ることを楽しみにしています。

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