ブログ

手紙 親愛なる子供達へ

 祖母の33回忌の法事で先の土曜日に家族が集まりました。

 私の姪の長女である1歳半の「みつ葉」ちゃんが大活躍で、参加者を和ませました。

 法事は、家族の絆を見つめ直す機会ですね。

 法事の1週間位前、私の故郷の吉部ふれあいセンターに立ち寄る機会がありました。

 「自由にお取りください」と紙が置いてあり、偶然手に取ったのが、「手紙 親愛なる子供達へ」という詩でした。

 ポルトガルに昔からある詩で作者不明とのことです。

 数年前から樋口了一さんが曲を付け歌っておられます。

 樋口さんが歌う「手紙 親愛なる子供達へ」の映像を見ていると涙が込み上げてきました。

 祖母も父も、亡くなる前には、今までできていたことが出来なくなることがありました。

 85歳になる母は、耳が遠くなったり、コミュニケーションが取りづらくなってきました。

 60前後の私たち姉弟も、これから少しづつ出来ないことが増えてくると思います。

 この詩は、法事に参加している私たちの子どもたちへのメッセージになると思い、歌詞をコピーして法事の最初に配りました。

 法事の前に、偶然出会った「手紙 親愛なる子供達へ」の詩。

 亡くなった祖母や父が、高齢になった母を労われ、自分の子どもたちに伝えよとのメッセージを届けてくれたのだと感じます。

 聡明だった祖母を思いながら、賑やかだった父を思いながら、法事の場での「みつ葉」ちゃんのあどけない姿を、観ながら家族の絆を深めることが出来ました。

 今年の法事で、私が家族に紹介した「手紙 親愛なる子供達へ」は以下の内容です。

・・・

    手紙 親愛なる子供達へ
 

 年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても どうかそのままの私のことを理解して欲しい

 私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

 あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

 あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

 悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい

 楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

 あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

 悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

 いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ出来なくなるかも知れない 足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったなら

 あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

 私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど

 私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

 あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

 あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

 私の子供たちへ 愛する子供たちへ

・・・

 皆さんは、どのようなお盆をお過ごしでしょうか。

 お教えください。

トラックバック

コメントはまだありません

No comments yet.

コメント

コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。

メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。