今日も、笠原十九司著「憲法9条と幣原喜重郎 日本国憲法の原点の解明」から引用します。
笠原さんは、「人類を滅亡から救うための唯一の道が、核兵器の全面禁止であり、その先駆となるのが、憲法9条による日本の軍備全廃であると言うメッセージである」とし、次のように書いています。
「世界の歴史の流れは、幣原が『今から百年後には、われわれは預言者とよばれるに至るでありましょう』と語ったとおり、憲法9条にこめられた核兵器廃絶の平和思想が紆余曲折を経ながらも現実味を帯びてきていることを証明している。」
幣原が、衆議院議長時代に秘書の役割を果たしていた平野氏へ憲法9条制定の経緯や想いを語った「平野文書」には、幣原の「今から百年後には、われわれは預言者とよばれるに至るでありましょう」という文書はありません。
幣原は、「平野文書」の中で、「1946年の1月14日」にマッカーサーに合い、憲法9条の内容を語ったと記述されています。
マッカーサーは、幣原喜重郎が亡くなってから公然と、幣原が憲法9条をマッカーサーに提案したことを話すようになりました。
幣原の「百年後には、われわれは預言者とよばれる」の言葉は、「平野文書」ではなく、「マッカーサーの証言」の中で、幣原と会った時に幣原が述べた言葉として記録に残っていると笠原さんは、紹介しています。
1955年1月27日付のニューヨーク・タイムズは、マッカーサーの75歳の誕生日を祝賀した集会で語った内容を次のように報じています。
マッカーサーは、この集会で幣原と面会したときの幣原の姿と発言をこの集会で次のように語っています。
「日本の賢明な幣原老首相がわたしのところに来られて、日本人自身を救うには、日本人は、国際的手段として戦争を放棄すべきであることを強く主張されました。わたしが賛成するごと、首相は、わたしに向かって『世界はわれわれを嘲笑し、非現実的な空想家であるといって、ばかにすることでしょうけれども、今から百年後には、われわれは預言者とよばれるに至るでありましょう」と言われた。
「マッカーサー大戦回想録」の中でもマッカーサーは、「幣原男爵は1月24日の正午に、私の事務所をおとずれ」と書き、「私の事務所を出る時には感きわまるといった風情で、顔を涙でくしゃくしゃにしながら、私の方を向いて『世界は私たちを非現実な夢想家と笑いあざけるかも知れない。しかし、百年後には私たちは預言者と呼ばれますよ』といった。」
幣原がマッカーサーの事務所を訪ね、憲法9条について提案したのは、1946年1月24日、それから76年経過しました。
米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・サイエンスティスツ」は20日、世界の終わりまでの猶予時間を象徴的に表す「週末時間」の針について、人類滅亡を示す午前0時まで100秒で据え置くと発表しました。2020年過去最短の100秒に設定され、昨年も据え置かれていました。同誌は声明で「核兵器や気候変動、破滅的なテクノロジー、新型コロナウイルスが引き続き危険な脅威をもたらしている」「(針の据え置きは)国際安全保障状況が安定したという意味ではなく、むしろその逆で、世界が極めて危険な状況から抜け出せていないことを示している」と警鐘を鳴らしました。
一方、核兵器禁止条約が発効してから22日で1年を迎えました。現在までに同条約を批准した国は59カ国に達し「核兵器のない世界」を目指す流れは大きく発展しています。
幣原がマッカーサーに合い9条を提案して「百年後には、われわれは預言者と呼ばれる」と語った100年後まで、残り24年です。
これ以上、終末時計を短くしないためには、核兵器禁止条約を批准する国を更に増やし、四半世紀後には、全ての国が核兵器禁止条約を批准する状況を作ることではないでしょうか。
そうなると、幣原とマッカーサーは、核兵器のない世界を実現させた本当の「預言者」となるでしょう。
憲法9条を持つ日本は、アメリカの傘の外に出て、核兵器禁止条約を批准すべきです。せめて、3月の第一回締約国会議にドイツ同様、オブザーバー参加はすべきです。
改めて、岸田首相に「平野文書」「マッカーサー大戦回想録」(日本国憲法部分)に目を通していただくことを強く求めたいと思います。
核兵器禁止条約が発効して1年が経過しました。
皆さんの想いをお教え下さい。
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