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「鬼人幻燈抄」を読んでいます。

 数日前から、中西モトオ著「鬼人幻燈抄」シリーズを読み始めました。
 第一巻「葛野編 水泡の日々」を一気に読み、今、第二巻「江戸編 幸福の庭」を読んでいます。
 「鬼人幻燈妙」シリーズは、現在までに6巻刊行されており、6月に第7巻が刊行される予定です。
 「鬼人幻燈抄」シリーズは、和風ファンタジーに分類されています。
 私は、ファンタジーファンを自称する程ではありませんが、過去の読書歴の中で、小野不由美さんの「十二国記」や、阿部智里さんの「八咫烏」シリーズや、上橋菜穂子「守り人」シリーズなどを読んできました。上橋菜穂子さんの近著「鹿の王」がこの秋、アニメ映画として劇場で上映される予定と聞き、楽しみにしている一人です。
 「鬼人幻燈妙」は、シリーズ累計15万部突破と、私が、紹介した日本人作家の過去のファンタジー作品に肩を並べることが出来るファンタジー巨編だと感じます。
 文庫版の裏表紙から本作の概要を紹介します。
 「江戸時代、山間の集落葛野には「いつきひめ」と呼ばれる巫女がいた。よそ者ながら巫女の護衛役を務める青年・甚太は、討伐に赴いた森で、遥か未来を語る鬼に出会うー江戸から平成へ。刀を振るう意味を問い続けながら途方もない時間を旅する鬼人を描いた、和風ファンタジーの巨編。」
 第一巻に、鬼とは何かについて甚太が鬼に尋ねるシーンがあります。
 「人を殺すのが鬼ではなく、結果、人を殺すことになろうとも目的を果たすまで止まれないのが鬼だという。もしその弁が事実ならば、人と鬼に何の違いがあろう。一瞬の逡巡。戸惑いが脳裏を過り、それでも構えを解くことはない。『止められないのか』『できれば鬼とは呼ばれぬ』」
 この件は、人間とは何かを逆説的に語っています。
 人間とは、人を殺すことになろう事態に至った場合は、止められる生き物だと語っています。
 私は、この文章を読んで、一気にこのシリーズに嵌りました。
 5月30日付のしんぶん赤旗日曜版に作家の落合恵子さんのインタビューが掲載されています。落合さんは、戦争と平和、原発などの問題で積極的に発言を続けおられます。落合さんが1990年に書かれた「偶然の家族」への想いを次のように語っておられます。
 「私は終戦の年の1945年生まれなので、どうしても世界や日本の平和が気になります。平和にとって最大の脅威は戦争で、戦争をする理由のひとつにされるのが『同一民族の血を守る』という発想です。そう考えると、異質な存在を大事にすることが平和に結びつくのではないかと。シングルマザーやゲイなどの多様な住人を描いたのは、そんな思いがあったからです」
 自民党は5月28日の総務会でLGBTなど性的少数者に対する理解増進法案について了承を見送りました。
 日本共産党の田村政策委員長は自民党の判断について「性自認や性的指向によらず、基本的な人権が保障されるというのは国際的には当たり前のこと。それが受け入れられないというのは、国際的に自民党の姿勢が問われる」と発言しました。
 私は、再び「同一民族の血を守る」という発想で、平和が脅かされる時代が来ないことを願います。
 落合さんの「異質な存在を大事にすることが平和に結びつく」という考えに賛同します。
 「鬼人幻燈抄」第一巻の最後は、甚太が鬼との激闘で、鬼人となり、甚夜と名乗り江戸に出発していくシーンです。
 甚太と激闘した鬼が「人よ、何故刀を振るう」と言った声が遠くで聞こえます。
 「鬼人幻燈抄」は、鬼という異質な存在を通して平和とは何かを考えることが出来るシリーズだと確信しています。
 私は、「鬼人幻燈抄」という巨編の入り口にようやく立った段階ですが、「鬼人幻燈抄」ファンの先輩の皆さん、本シリーズの感想をお聞かせ下さい。
 引き続き、本ブログで「鬼人幻燈抄」の感想を綴っていきたいと思います。
 

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