議員日誌

おちゃめに100歳!寂聴さん

 瀬戸内寂聴さんの「いのち」「死に支度」を読みました。

 そして、今、寂聴さんより66歳年下の秘書である瀬尾まなほさんの「おちゃめに100歳寂聴さん」を読んでいます。

 瀬尾さんは、大学を卒業してすぐに寂聴さんのスタッフとして働き始めます。

 直後に「寂庵春の革命」(ベテランのスタッフが相次いで引退する)が行われ、若いスタッフの中心として瀬尾さんが働くことになります。

 寂聴さんの「死に支度」の中に出てくる最年少の秘書モナのモデルは、瀬尾さん。

 小説の中でモナさんが寂聴さんに宛てた手紙が何回か出てきます。

 この手紙は、瀬尾さんが書いたものがほぼそのまま引用されていることが、出版業界に伝わり、瀬尾さんは、寂聴さんとの日々を新聞に連載しています。

 そのような中で、瀬尾さんの初めての本が「おちゃめに100歳!寂聴さん」です。

 瀬尾さんが体験した中学時代のいじめ。それを乗り越える中で出会った寂聴さん。いきいきと伝わってくる文章です。

 寂聴さんのスタッフになった時は、寂聴さんの本を一冊も読んでいなかったと書いていますが、この本は、瀬戸内寂聴作品を知る入門書として最適です。

 この本を読んで、「青鞜」「美は乱調にあり」など瀬戸内作品の中で読みたいものが見つかりました。

 この本の中で、最も心を打たれたのは、第4章「自分がやろうと思えば何だってできる 戦争そして覚醒」でした。

 寂聴さんが90歳前後で病弱の身を推して街頭でマイクを握ったコメントが克明に綴られています。

 福島原発事故が起り翌年7月に17万人があつまった「さようなら原発10万人集会」で寂聴さんはマイクを握ります。

 「90のお婆さんは足手まといになるから寝てろって注意してくれた人がありました。でも、冥途のみやげにみなさんが集まった姿を見たかった。大逆事件などの歴史や、女性の『青鞜』の運動を書いてきたのは、100年前の日本には人間の自由が奪われた時代があったから、自分のためではなく、人のために新しい政治をしようとしたら、全部つかまって何もできない冬の時代もありました。今、私たちは、何不自由なく暮らしているけれど、それは過去の人たちが苦労して、人間の自由を守ってきたから。」「政治に対して言い分があれば口に出して言っていいし身体で表していいんです。」

 安保法制反対する市民運動の集会で寂聴さんはマイクを握ります。

 「昨年1月病気をして、寝たきりでした。まだ感じしていないけれど、最近のこの状況を見ると寝てなんていられない。このままでは日本はだめだと思いここに来ました。私は大正11年の生まれ、戦争のまっただ中に青春を過ごしました。前の戦争のときに、戦争がいかにひどく大変なものかを身にしみて感じています。引き上げで焼け野原になった故郷・徳島を見たときに、この戦争は天皇陛下のため、日本の将来のため、東洋平和のためと教えられ、信じてきたけど、戦争にいい戦争も悪い戦争もありません。殺し殺されるのが戦争。決して戦争を繰り返すまいという思い。ここに集まった方も同じ気持ちだと思う。その気持ちを他の人、特に若い人に伝え、若い人の将来が幸せになるよう進んでほしい」

 瀬尾さんは、寂聴さんに「なんで、こんな体で無理してデモなんて行くの」と聞きます。

 この章の最後に瀬尾さんはこう書いています。

 「今でも泣きたくなる。でも今ならわかる。それが先生だから。誰に何を言われようと、自分の想いを貫き、たとえ一人でも声をあげ続けるんだって。わたしはそんな先生の姿が眩しくて、震えてしまう。大切なものは何か。それを先生にいつも全身で教わっている。」

 私は、寂聴さんから全身で学んでいる瀬尾さんの姿勢に感動しました。

 瀬尾さんには、寂聴さんの全身から発する動きや言葉をこれからも多くの私たちに伝えてほしいと思います。

 瀬戸内寂聴さん生き方の伝道師として瀬尾さんのファンになりました。

 瀬尾さんの次回作を早くも期待しています。

 そして、寂聴さんの作品に数多く触れてみたくなる自分がいます。

 「青鞜」から読んでみたいと思います。

 寂聴ファンの皆さん、引き続き、皆さんのお薦め作品をお教え下さい。

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