昨日、長生炭鉱追悼ひろばで、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会主催の「長生炭鉱水没事故76周年犠牲者追悼集会」が行われました。
1942年2月3日早朝、宇部市西岐波の浜辺にあった長生炭鉱で、水没事故が起き、183名の人々が生きながら、坑道に封じ込められてしまいました。犠牲者のうち137名は、強制的労働で日本に連れてこられた朝鮮人の方々でした。
水没事故の犠牲者を追悼する78周年の集会には、韓国の遺族20名、日本の遺族1名が参加しました。
また、韓国で、長生炭鉱の歴史を書いた本「角がでた海」の作家・パク・イェブンさんも集会に参加しました。
長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の井上共同代表は「長生炭鉱の遺骨発掘は『人権の課題』として何人といえでも否定できるものではありません。幅広い政党や市民の皆さまを結集して、遺骨発掘を実現しなければなりません。」と挨拶しました。
長生炭鉱犠牲者遺族会会長のキム・ヒョンスさんは「日本政府には、このように放置しておくのではなく、あの冷たい泥の中に埋まっている遺体を発掘し韓国の地へ安らかに葬ってくださるよう要求します。」と追悼の辞を述べました。
犠牲者追悼集会で追悼の辞を述べるキム会長
金駐広島大韓民国領事は、「ご遺族が切に願う遺骨発掘まで、さらに長い時間が要されるかも知れません。しかし、1942年のあの日を忘れずに、ご遺族の心の痛みが消えるまでともに進むという覚悟を、本日の場で新たにします。」と追慕の辞を飲めました。
追悼集会で追慕の辞を述べる金駐広島総領事
参加者が慰霊碑に献花をした後、韓国の小中学生による琴の演奏と歌が披露されました。
韓国から来た小中学生が琴の演奏と歌を披露
追悼式終了後、遺族は、事故が起った海岸で、献花を行いました。
76年間に水没事故が起きた長生炭鉱跡地
私は、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の運営委員の一人として、集会の準備と運営にあたりました。
これ歴史を後世に伝えるとともに、遺族の願いである遺骨が早急に収集されるように力を尽くしたいと思います。
長生炭鉱水没事故76周年にあたり、犠牲者に哀悼の意を表します。
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