私は、2007年3月に山口戦争体験を記録する会が発行した「私の戦争体験13」に、「ラムサール条約湿地登録への道-戦中・戦後の軍隊と秋吉台の歴史-」という小論を書きました。
2005年11月、「秋吉台地下水系」がラムサール条約に登録されました。
私はこの小論で「もし、あの時、秋吉台が米軍の演習場になっていたなら、今日の好機は訪れなかったでしょう。」と書きました。
私は、この小論で、秋吉台が戦前は、旧日本陸軍が実弾射撃演習場(大田演習場)として使用していた事実を書きました。
そして、私は、この小論で、1946年、秋吉台をニューランド陸軍部隊が旧日本陸軍が使用していた演習場を強制接収し、1949年まで実弾射撃訓練をしていた事実を書きました。
1955年、在日米海軍航空部隊が対地爆弾演習場として使用したいと打診してきました。
小沢太郎山口県知事は、「満足願える回答は致しがたき」と拒否をする回答を行いました。
同年5月には、美東町・秋芳町第一回総決起集会が開催され、「大田演習場接収解除促進期成同盟」が発足しました。
県内外の政党た民主団体を始め、科学者団体が期成同盟会をバックアップしました。
その結果、1957年12月、「大田演習場」の美東町への返還式が、岩国米海軍航空基地司令長官列席のもと行われ、「秋吉台太田演習場全面接収解除」が完結しました。
私は、戦後、米軍演習場にさせなかった住民のたたかいに今、大いに学ぶ必要があると思いました。
陸上自衛隊の萩市むつみ演習場に「イージス・アショア」が建設されようとしていることは本ブログに連日書いている通りです。私たちの孫子に「何で大人はあの時に『イージス・アショア』を認めたのか」と言われてはなりません。
子どもたちにへ平和な山口県を届けるために、「イージズ・アショア」の建設をストップさせる取り組みを強めていきましょう。
秋吉台のたたかいで思うのは、当時の小沢知事の態度です。
残念ながら今日の村岡県政は、「アベ県政」と言わざるを得ず、国の悪政を補完する判断ばかりが目立ちます。
アメリカと国に「満足願える回答は致しがたき」と堂々と住民の立場を貫き秋吉台を米軍の演習場にしなかった当時の小沢知事の判断は今日的に大いに評価できるものだと感じます。
県知事選挙を通じて、県内で顕著な軍事力の拡大の動きに県民の声を示していきましょう。
岩国基地の際限のない機能拡大と萩市への「イージス・アショア」の建設に、秋吉台を守った住民のたたかいに学び、県民の平和を求める声を大きくしていく時だと感じます。
秋吉台が戦後、米軍の演習場になろうとしていた歴史をどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。
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